Joeのタイ王国にスミタイ!

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Joeの旅日記 Joe's travel diary


今までしたためた日記(メモ帳)に基ずいた秘蔵旅日記!? を公開します。日付は順不同です。

ラスベガスでカジノ アムステルダム

旅の写真館

Joe's travel diary
◇1992年3月ハワイで迷子◇


1992.03 in Hawai

アメリカ西海岸の帰りにハワイに寄った。あいにく、ハワイは雨が降る悪天気。 夕食後、ショッピングセンターに買い物に出かけた。リピーターが居たので同行した。 同行者とはそこで別行動を取ることにした。 2時間くらい買い物をしてホテルに帰ることにした。ところが、ホテルの名前が思い出せない。 困った。しょうがない。あてずっぽうに探した。 やはり分からない。仕方なく警官に聞く。ホテルの名前を適当にいい尋ねる。似たような名前のホテルが多い。 警官は親切に教えてくれる。しかし、たどり着かない。当たり前だ。ハワイには、ストリートガールが多い。 金髪のおねえちゃんが日本語で誘ってくる。いっそ、おねえちゃんと遊ぼうとも思ったが思い止まった。 1、2時間探し歩いてやっと見つけた。やはり、初めての土地での夜の一人歩きは止めよう。

◇1992年7月 パタヤーで射撃◇


1992.07 in Pataya

バンコクから車で2時間で行けるパタヤーは手軽なリゾート。パタヤーの海は残念ながら汚い。 それでも、沖合いのコ・ランまで行けばきれいな海に出会える。コランまではボートで1時間。 途中、パラセイルや射撃が楽しめる。拳銃やライフルも試せる。的に当てるのは至難の技だ。全然当たらない。 この時には日本人女性2人組みと一緒に射撃をした。けっこう女のこは射撃に夢中になっていた。意外な気がした。 終わった後で請求金額を聞いて驚いていた。1発あたり、1か2ドルだったと思う。100ドル近く請求されたのだ。 ぼくが使ったのは20ドルくらいだった。

1995年6月アムスの「飾り窓」探訪!


1995 .06 in Amsteldam

アムステルダムといえば、「飾り窓」が有名だ。中央駅から旧教会に向かう界隈にある。ここには色々な人種の娼婦が居る。 白人、黒人、東洋人、ヒスパニックなど様々。もちろんタイ人も例外ではない。 世界的に有名なだけあって、男だけでなく女性も、「飾り窓」の観光をする。同性としてはどんな思いをするのだろう。 ここに居る娼婦はビジネスとして割り切っているように見える。 かつての日本の赤線のように、身売りされる娼婦は居ないと思う。娼婦と話をしてみたいが、突入する勇気はない。 ここがタイなら平気なんだけどね(笑)黒人の娼婦が盛んに呼びこむけど、やはりだめだ。意気地なし。 観光者が多いので娼婦の部屋に入るにはかなり勇気が要る。 まさか、こんなとこに知り合いなど居るわけはないが、躊躇してしまう。

1995年7月ロンドンで宿探し


1995. 07 in London

ヒースロー空港に到着した。入管で日本人女性ミエさんと分かれた。彼女はイギリス人と結婚するのでフィアンセビザ。 だから時間がかかる。しばらく待ってみたが、なかなか現れないのであきらめて市内行きの電車に乗った。 行き先はエールズコート。事前に調べたところここに安宿があるらしい。ガイドブックは、KLで盗難に遭いない。 ところが、エールズコートに降りたけど安宿が分からない。そこで駅にあるトーマスクックでホテルを予約することにした。 28ポンド。初日だから仕方ない。宿はパディントンにあった。駅におりて探したが分からない。 教えられた通り行くが見当たらない。1時間くらい探しただろうか。背の高い警察官が居たので尋ねた。 やった場所が分かった。トーマスクックの教えてくれた説明書は違っていた。おいおい、ここはアジアか(笑)

1992年3月ハリウッドで映画人気分


1992. 03 Haliwood in LA

映画の好きな私としては、ハリウッドは、聖地とも言うべき場所。 スターには会えなかったが、有名人の足跡をたどることが出来たのは嬉しい。 チャイニーズ・シアターは、有名観光地なのでやたら旅行者が多い。それもツアー客が多い。かくいう私もツアー客の一員。 映画で有名なスターの手形や足型を見るのは楽しい。

1990年8月某日パタヤーでパラセイル


1990. 08 Pattaya

パタヤーは、バンコク郊外のリゾート地。海は残念ながら汚い。しかし、沖合いのラン島まで行けばきれいな海に出会える。 パタヤーからボートで1時間の島だ。ボートの途中の定番コースは、パラセイルと射撃場。 それが終わると島でシーフードを食べる。当時はボートプラス食事で300バーツ位。 日本でのオプションだと4000〜5000円はする。パラセールはなかなか気分がよい。地上から20メーター位舞い上がる。

1995年7月某日パリのCafeで水を頼む


1995. 07 Paris

美術館の帰りにのどが乾いたので、カフェに入った。カフェオレとクロワッサンと水を注文する。 ところが、この水が通じない。パリの下町は英語が通じにくい。そのため、ロンドンで英仏会話集を買ったりした。 さっそく、俄仕込みのフランス語を使う。カフェオレとクロワッサンはOKだ。あとは「水」だ。色々言ってみるが通じない。 そうだ。「エヴィアン」で通じるはずだ。しかし、「エヴィアン」も通じない。 「ギャズ?」「サン・ギャズ?」このおねえちゃんは、なにが知りたいのだ?分からない。そうだ。実物を指差せば良い。 やっとのことで水を頼めた。やれやれである。ちなみに、このカフェには、「エヴィアン」を置いていなかった。 そして、おねえちゃんが知りたいのは、炭酸水か炭酸抜きの水かが知りたかったのだ。 日本で水は、ふつうの「水」を指すのだが、欧米では、炭酸水か炭酸抜き水かを区別する。

1997年1月1日シンガポールでお正月

1997.01.01 Singapore

シンガポールの正月は静かだ。爆竹は禁止しているし人出もそれほど多くない。 中国系が多いシンガポールでは、1月1日ではなく春節が正月な人が多いので、静かなのであろう。映画を見ることにした。 スペイン映画「CATITO」というロードムービー。日本では公開しないだろう。地味な映画だ。 ここは、やはり香港ムービーが人気がある。ハリウッドものよりも混んでいる。 ジャッキー・チェン主演の映画は混んでいて見られない。ちなみにシンガポールは、完全予約指定制で立ち見は出来ない。

1997年4月12日(土)カオサンでソンクラーン

1997. 04.12 Khao san Rd. in Bangkok

カオサンのフレンドリーに泊まっていた。フレンドリーは日本人宿だ。8割は日本人。西洋人も少し居る。 今日はソンクラーンの初日、ソンクラーンはタイの正月。出稼ぎの人も田舎に帰る。 サクチャン(日本女性)が遊びに来た。彼女はホテルで働いている。カオサンに人探しに来たのだ。 暇なので一緒に捜し歩いた。バンコクで働いている者はカオサンには来ない。ここは旅行者の町だ。 グリーンハウス、タイゲストハウス、Nat1,2,CH1,2色々探しまわった。しかし、見つけることは出来なかった。 さすがに疲れたので「お茶」をごちそうになった。サクチャンとは、日本で一度会ったことがある。派遣の仕事をしていた。 彼女のアパートに行き、色々だべった。夜は無国籍料理の店に入った。日本で食べるトムヤムクンは、あまり辛くなかった。

1995年7月某日◆ロンドンで再会!◆


1995. 07 in London

同じ飛行機に乗った日本人女性ミエさんと再会することにした。 ベルギー、オランダ、フランスを廻ったあとで、彼女に電話をした。待ち合わせは、ピカデリー・サーカス。 彼女に会うのは3週間ぶりだ。うまく会えるだろうか。少し不安だ。約束の時間に少し遅れたが彼女は来た。 イタリアンレストランで食事をすることにした。値段、味はまあまあである。 そこで食事をすまし、ハイストリート・ケンジントンを散歩した。若者が集まる町だ。日本の渋谷のような町。 無印良品の店がある。アンティックや小物、古着なども売っている。彼女は背が低い。靴が欲しいという。 靴やさんを色々まわった。だが、なかなか小さい靴がない。子供用になってしまうのだ。 さすがに、子供用はデザインがお子様向きで気に入らない様子。結局気に入る靴は探せなかった。あ〜。疲れる。 カフェでコーヒーを飲み彼女とは別れた。

1996年12月25日◆K・Lでクリスマス◆

1996.12.25 KL

イブの24日は、マレーシアのペナンに居た。宿は定宿のPlaza Hostel。マレー系インド人が経営している。 ここでは九州大学の院生の二人組と一緒だ。マレー半島を縦断するそうだ。 コースはバンコクからシンガポールまでの人気コース。彼らとはハジャイからペナンへのミニバスで一緒になった。 ペナンの宿はぼくが連れていった。3階の30ベッドあるドミトリー。ここにはテラスがあり、居心地が良いのだ。 宿泊者の80%は西洋人。日本人も6人ほど居た。彼らとはシンガポールまで一緒に旅をした。 ぼくもシンガポールまで行く予定だったのだ。ぼくは25日にKLに向かった。彼らは翌日来るという。KLの定宿を教えた。 KLで彼らと合流。屋台で乾杯をした!

1992年3月某日◆ラスベガスでカジノ


1992.03 Las Vegas フラミンゴ・ヒルトン

カジノといえばラスベガス。ここのカジノはホテルが経営しているので、とにかく大きい。 マカオのカジノに行ったことがあるが、規模は雲泥の差である。一番簡単なスロットマシーンをやる。 資金は100ドル。25セントのクウォーターと1ドルとあったが、クウォーターでやることにした。どうせ勝てないしな。 夜の7時から始めて終わったのは、何と夜中の3時。カジノは3軒廻った。バニーガールが飲み物を運ぶ。 飲み物はフリーだ。チップに1ドルをやるのがマナー。日本人はチップに慣れていないが、彼女達の収入源。 多すぎても良くないし上げないのはマナー違反だ。レストランもカジノで潤っているので値段は安めだ。 さて、カジノの収支だが、最後は、200であった。差し引きプラス100ドル。 カジノで遊んで、バーガーキングの特大ハンバーガーをほお張り明け方まで遊んだ。疲れたけど、気分は上々だ。

1997年2月某日◆フレンドリーゲストハウス◆

Friendly GH in Bangkok

カオサンにある日本人宿。こことグリーンハウスは日本人が多い。 現在沖縄に住んでいる「なべさん」とは、フレンドリーで出会った。ぼくは、部屋のシェア、なべさんは1階のドミ。 なべさんは、中近東からインド経由で1年をかけて旅行をしていた。ここのテーブルで日がな一日ごろごろする。 ごろごろできる場所があるかどうかが、けっこう重要なのだ。いちいち、レストランに入るのはお金がかかるしね。 1階では、マッサージをやるので8時になると起こされてしまう。 「これじゃかなわん」とのことで、別のゲストハウスをシェアして借りることにした。 しかし、2月は大学生の休みでもあり安宿はどこもフル。10軒以上探しまわり見つけたのがNat2。 郵便局の近くにある。ツインで140バーツ、ひとり70バーツの安宿。フレンドリーは、場所が斜め向かいに移動した。

1995年7月某日◆マラッカのドミトリー◆


1995.07 Marraca

ヨーロッパの帰りにマレーシアに滞在した。マラッカは、マラッカ海峡で有名な港町。JBからバスで来た。 バスターミナルには、客引きが居た。客引きの女性にもらったパンプレットを読んで、そこに泊まってみようと思った。 部屋でも高くなかったが、ドミに泊まることにした。少しでも節約したいから。 宿の人はしきりに部屋を勧めたが断った。ドミは3階にあった。部屋にはベッドが10くらいある。 ドミに居たのはひとりだけ。スウェーデンの若い女性だった。それもバスタオル一枚という格好だ。 誰も居なかったからだろう。これからシャワーを浴びるんだ、と言う。 ぼくは、思わず「OK,OK,ユー テイク シャワー」と言った。スウェーデンの若い娘との同室。 ちょっとドキドキする日であった。

1995年6月某日◆世界一自由な都市アムステルダム


1995.06 Amsteldam

ベルギーのオステンドから陸路でアムステルダムに到着する。バスターミナルは繁華街からは離れている。 電車に乗り中央駅へ向かう。この駅は、東京駅のモデルになった駅だ。なるほど似ている。 ロンプラ(ロンリープラネット)で宿を探す。場所は旧教会にある。 旧教会は、「赤線街」にありあまり治安は良くない。少し不安だが昼間なので大丈夫だろう。 駅から10分くらい歩き宿を見つけた。Nelly's innというアイリッシュ人父娘が経営している宿。 1階はアイリッシュパブで、上階がゲストハウスになっている。ドミトリーが中心だ。部屋はきれいだ。 1部屋に10ベッドくらいはいっている。ここにも東洋人の姿はない。 ここは、ソフトドラッグはフリー、売春は容認、カジノ公認(スロットマシンが至る所にある)、安楽死も可、同性愛のカップルも公認する自由な都市。 銀行員はジーパンをはいている。ここまで開放的にしても平気なのだろうか。是非はともかく一度は訪問して欲しいところだ。 ヨーロッパは、基本的に個人主義の国が多い。アジアみたいな人なつこさはない。個人の自由を最大限に認める都市。 麻薬中毒になる自由。売春、麻薬でエイズになる自由。すべて国や自治体が制限するのではなく、個人の判断に委ねる。

自由とは何かを考えさせる都市アムス!


1992年3月某日◆セントパトリックデイのサンフランシスコ◆


1992.03 Sanfransisco

ラスベガスから国内線でシスコに移動する。サンフランシスコはなかなか良さそうな町だ。 路面電車に乗る。運転士が、年寄りだが張りきっている。 日本人のガイドいわくこの町の5人に1人はゲイ・レズビアンだという。たしか、市長でゲイの人が居たりしたしたせいかな。 滞在した時が、ちょうどセントパトリックデイであった。 ホテル、レストランはどこもアイリッシュで一杯だ。セントパトリックはアイルランドの聖人。 彼らは皆、緑のアイリッシュグリーンを着ている。 アメリカにはアイルランド系の子孫が2000万人いるそうだ。大飢饉を契機に移住したのだ。 映画「逃亡者」でも、最後の方にアイリッシュのパレードがある。

緑に染まった町 サンフランシスコ!


1995年6月某日◆オステンドの港◆

1995.06 Ostend

ロンドンからユーロラインというバスで、フェーリーに乗りアムステルダムに向かう。 フェーリーには日本人はひとりも乗っていない。欧米人がほとんど。黒人系の人がちらほら居る。 フェリーは、ベルギーのオステンドに向かっていた。そこからはバスでアムス。バスを降りてフェリーのラウンジに移動する。 ロンドン発は19:00。だからフェリーの外は暗い。何時間乗ったのだろう。けっこう長い航海だ。 オステンドには深夜到着した。 EU加盟国はフリーパス、パスポートをかざすだけ。EU以外の国はスタンプを押す。 オステンドのイミグレ係員が、「チェコ人は居るか?」と英語で問い掛けたが返答はない。 誰かが、「コロンビア人は居るか?」と声を出した。皆が爆笑した。多分、チェコ人の麻薬犯罪が多いのだろう。 バスのとなりの席にはドイツ人の若者が座った。アムスに寄ってドイツに帰るという。

オステンドの港はまだ暗い。


1995年6月某日◆KL発ロンドン◆

1995.06 fromKL to London

マレーシア航空004便、クアラルン・プル発ロンドン行き。 成田→クアラルンプルには搭乗していた日本人のスチュワーデスが居ない。004便はがらがら。 幸運にもひとつ空いた隣の席に日本人女性が居た。 彼女に話し掛ける。「旅行ですか?」 「いいえ、結婚するんですイギリス人と」島根の出身だという。 彼女の父親は結婚に反対。絶対認めないそうだ。 なんでダメなのだろう。外人だからか?彼の職業はスタジオエンジニア(音楽)。 ちゃんと仕事を持っている。母親は認めたそうだ。彼女としては両親に認めてもらいたい。 当然だと思う。親子の関係は難しいものだ。 色々雑談した。旅のはなし、家族のこと、結婚、イギリスのこと。 話が一段落したら、アームを上げて眠りについた。 彼女の住所を教えてもらいロンドンで再会することにした。

1995年10月某日◆災難は忘れた頃にやって来る◆

1995.10 Singapore

マレーシア航空でヨーロッパを旅行した帰りに、シンガポールに立ち寄った。インドネシアを1ヶ月かけて旅行した後だ。 インドネシアは盗難が多いと聞いていた。幸いにも盗難の被害には会わなかった。 ジャカルタを後にしてシンガポールに到着した。宿は、飛行機で一緒になったオランダ人と同じところに泊まることににした。 ラッフルズホテルの近くである。ドミトリーで10シンガポールドル。シンガポールは治安が良いので有名だ。町もきれいだ。 移動の疲れもあり早めにベッドについた。翌朝目が覚めると、枕の下に置いてあった貴重品がない!そんな馬鹿な。 探した、何回も探した。出てこない。出てこない。頭の中は、真っ白になった。どうしよう。貴重品がない。 現金、パスポート、T/C、クレジットカードおまけに旅行保険までない。これじゃ、保険も申請できない。 小銭が少しだけ。宿には日本人の女性が居たが、え〜うそ〜、信じられない、と言うだけである。 この女性にお金を借りようと思ったが止めた。警察に行こう。それから大使館。ひとり旅なので他人は頼れない。 重い足取りで警察に向かった。どうせ出てくるわけない。盗難を報告した。報告書を書いてもらい、保険を申請してみよう。 警察官と話してるうちに、警察官が微笑んだ。ん、なんだ、この微笑は?警察官は席を外した。しばらくして戻ってきた。 その手には、なんとおれの貴重品袋が有る。え〜、おれの貴重品袋!!中身を調べた。現金は全て無くなっていた。 しかし、パスポート、T/C、クレジットカード、保険証現金以外はすべてある。やった、天は我を見捨てなかった。 大げさだが、本当に神や仏に感謝した。

1996年12月18日(火)◆ビッグニュース◆

1996.12.18 Koh Phangan

コパンガンのハードリンに住んでいた。コパンガンには日本人のリピーターが多い。まめさんもそのひとり。 札幌でアクセサリーの路上販売をしている。年に2回コパンガンに遊びに来る。年齢は40代だろけど聞いたことはない。 そのまめさんから、ビッグニュースがもたらされた。 ペルーで、大使館公邸で人質事件が起こったと言うのだ。え〜、人質?まめさんは、短波放送で聞いたと言う。 ぼくはラジカセを持っていたが、短波は付いていない。AMとFMの2バンドなのだ。 レストランでCNNを見ても放送していない(実際には放送してる)。がせねた、じゃないのか?とまめさんを疑った。 しかし、まめさんのニュースは真実であった。


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