Joeのタイ王国にスミタイ!

sumithai

ラオスの微風 LAOS Breeze


メコン川のボートから見たタイ

首都ビエンチャン、古都ルアンパバーン、カンボディア国境に近いコーン島が旅行者に人気がある。

ビザ ラオスの歴史 旅のラオス語 ビエンチャン

◇基本情報◇

国名: ラオス人民民主共和国
 Lao People's Democratic Republic
政体:ラオス人民革命党による独裁政権
首都: ビエンチャン Vientiane
人口: 606万人 2004年
民族: ラーオ族(60%) 少数民族
言語: ラオ語(タイ語がかなり通じる)
宗教 上座部仏教 60% 


◇旅行情報◇

電気: 電圧 220V プラグはCとA型
飲料水: 水道の水は飲料不可。
ペットボトル、ミネラルウォーターが利用できる。
郵便局:月〜金曜8:00〜16:30 土曜は半日
銀行:8:00〜12:00、13:00〜15:30 土・日曜は休業
一般商店 8:00〜18:00前後

通貨:キープ(キップ)kip 10000kip=36TBT 2008年5月現在
紙幣のみで、100、500、1,000、2,000、5,000、
10,000、20,000、50,000キープ札がある。

レストラン 〜20時前後 ホテルは22時前後まで営業
言語 ホテル・旅行者の多いレストランでは英語が通じる
インターネットカフェ:ビエンチャン市内、
ルアンプラバンなどの観光地にあります。1時間6000kip

時差:タイと同じく2時間
気候 雨季(6-10月),乾季(11-2月)、暑季(3-5月)
治安:外務省海外安全HPのラオスを参照して下さい。
行政区分:ビエンチャン都と16県

◇リンク◇


ビザ◇Visa

2007年1月より、日本人(日本国籍の旅券を所持)の場合は、観光、業務目的で15日以内の滞在に限り、ビザが不要となりました。 (パスポートの残存有効期限は入国時に6ヶ月以上必要となります。)

15日以上1ヶ月以内の滞在の場合は、大使館にて申請をするか、アライバルビザを取得してください。

現在、下記の国境及び空港にてアライバルビザ発給が出来ます。

(空港)
◎ ヴィエンチャン・ワッタイ国際空港
◎ ルアンパバン国際空港
◎ パクセ国際空港

(国境)
◎ タイ・ラオス友好の橋(ヴィエンチャン/ノンカイ)
◎ ワンタオ(ラオス) / チョンメック(タイ)
◎ サワナケット(ラオス) / ムクダハーン(タイ)
◎ フェイサイ(ラオス) / チェンコーン(タイ)
◎ ターケーク(ラオス) / ナコンパノム(タイ)
◎ ボーテン(ラオス) / ボハン(中国)
◎ ナムパオ(ラオス) / カオチェオ(ベトナム)
◎ デーンサワン(ラオス) / ラオバオ(ベトナム)
  〔プークア・アタプー(ラオス) / コントゥム省(ベトナム)----------ビザ発給はしていません。〕

料金は30ドル(休日およびオーバータイムは31ドル)で、写真1枚(3.5×4.5cm)が必要です。(ただし、場合によっては2枚要求する場合がありますので、念のため2枚お持ちください。)

(ご注意ください。)
現在、上記11箇所におきまして、アライバルビザの発給が可能となりましたが、何の予告も無く発給が中止になる事もございますので予めご了承ください。

外貨の持ち込み制限はありません。日本円、タイ通貨のバーツあるいは米ドルはラオスの銀行、ホテルなどでラオス通貨のキープへ両替できます。もっとも実際には市中の商店はバーツ、米ドルが使用できます。出国時持ち出し制限はないものの、ラオス通貨は外国で両替できませんので注意しましょう。

ラオス政府観光局HPより

※ラオスのビザに関してはラオス政府公式サイト(英語)A GUIDE TO LAO'S VISASで詳細に記載されています。



ラオスの歴史

中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーの5カ国と国境を接する内陸国のラオス。 その歴史はその地勢を反映してか決して平坦なものではない。 ラーオ族のルーツはアルタイ山脈の麓あたりとされているが、時代と共に南下し現在のラオスに定住した。

◇ラーンサーン王国◇

統一王朝が出来るのは1353年のラーンサーン王朝である。ラーンサーンとは100万頭の象という意味で、タイ語ではラーンチャーンになる。 中国の唐の影響などで大乗仏教が普及していたが、この時代に上座部仏教が信仰されるようになった。 国王のファー・グムの妻がクメール帝国の王女ケオ・ケーンカンガーで、父親のクメール王に仏教使節団の派遣を要請したことに始まる。
王都を1560年にスワーからビエンチャンに移した。これは1531年、ビルマ族が周辺を征圧しタウング王朝を興したことと1540年、アユタヤ王国がクメール帝国の首都アンコール・トムを陥落させた事に関連する。 1574年、タウング王朝はラーンサーンのビエンチャンを侵攻しタウング王朝の支配下に置かれた。
1633年、スリニャ・ウォンサーは57年間執政をとり王朝は発展を遂げた。 スリニャ・ウォンサーは税制、行政、軍政やアユタヤ王国との国境画定に尽力した。 彼の死後は再び王位継承争いが続き後の三王国時代へと続いていく。

◇ラーンサーン三王国時代◇

1706年、スリニャ・ウォンサーの孫のキン・キッサラートとインタソームの兄弟がルアンパバンに侵攻しラーンサーン王国からの独立を宣言しルアンパバン王国を建国した。 ラーンサーン王国側はアユタヤ王国に援軍を要請しアユタヤ軍は派兵したもののビエンチャンに軍兵を留めてルアンパバンには侵攻しなかった。この為ルアンパバン王国の独立を認めざるを得なかった。 また1713年、南部のチャンパーサック地域はアユタヤ王国の思惑もありニョート・ケーオらによりチャンパーサック王国として独立した。 新しい国王にはシーサムット女王を擁立した。 こうして、ルアンパバン、チャンパーサック両王国に独立されてビエンチャン王国としてサイ・オン・フェは政権を維持した。 その後、シャム(タイ)の侵攻を受けるまで三王国時代は続く。

◇シャム(サイアム)の属領時代◇

ラーンサーン三王国はシャムの侵攻を受けてシャムの属領となった。1782年、タークシン王は武将のカサットストックの反乱により王位を追われた。王都をトンブリからクルンテープ(現在のバンコク)に移しラーマ1世として即位した。このような内政の事情でラーンサーン三王国は大幅な自治権を認められた。ビエンチャン王国のチャオ・アヌウォン(セタティラート3世)はシャムからの独立を目論むが、事前に察知され王都は徹底的に破壊され滅亡した。ルアンパバン王国ではホー族の襲撃にたびたび遭い1887年には王都ルアンパバンが襲撃された。

◇フランス植民地時代◇

1863年、カンボジアを保護国化し、1885年、清仏戦争でベトナムでの宋主権を獲得した。1893年、仏泰戦争ではフランスがタイを圧倒し、1904年、ラオスを保護国とした。仏領インドシナの完成である。第二次世界大戦中は日本の占領下にあったが、1946年、フランスからの独立を宣言した。1954年、インドシナ停戦会議がジュネーブで開催されラオスは独立を果たした。

◇ラオス王国の独立◇

1947年7月19日、フランス・ラオス協定によりラオスは独立を果たした。但し国防、外交権はフランスが保持するという制限付の独立であった。政権内部にはフランスを支持する親仏派のプーマ殿下とヴィエトミン派のスパーヌウォン殿下の対立があり、ラオス王国の創設と共に反仏のパテートラオ政府が樹立された。1954年5月8日、インドシナ停戦会議が開催され、外国軍の撤退とパテートラオの北部2県への集中、軍事的中立が合意された。パテート・ラーオは政治団体「ネオ・ラーオ・ハクサート」(NLHS)を設立し連合王国樹立に向けて動く。

◇民族解放戦争時代◇

1956年8月10日、プーマ殿下を首相に連立政権が発足した。サムヌアとフォンサリでNLHSが初めて参加する補欠選挙が行われ、新設21議席のうちNLHSは9議席を獲得、NLHSと同盟した平和中立党が4議席を獲得した。この事態を憂慮したアメリカ政府は経済援助を停止する旨表明した。内閣は総辞職し、親米派のプイ・サナニコーンが首相に就いた。NLHは入閣を拒否し単独・親米政府の発足である。アメリカは経済援助の再開を表明したが、NLHSは反政府行動を宣言しNLHS派の軍の兵士は集団脱走するなど各地で衝突が起こった。 1960年8月8日、コン・レー大尉によるクーデターにより、首都ヴィエンチャンが占拠された。コン・レー大尉はプーマ元首相に対し組閣を要請、プーマ元首相はNLHSとの連立政権を発足させた。アメリカは対ラオス王国援助を停止しタイ王国もアメリカの要請で国境を封鎖した。ラオス王国はソビエト連邦に援助を依頼し、国交を回復した。ソビエトは緊急物資支援を行い東南アジア進出の契機となった。 アメリカはノヴァサン将軍ら右派の援助を行い、アメリカ及びタイ王国の援助を受けて1960年12月16日、ビエンチャンを奪回した。ノヴァサン将軍はチャンパーサック家出身のヴン・ウム殿下を首相に推し、ヴン・ウム内閣が発足した。NLHS側はシェンクワン、ルアン・プラバーンやフォンサリなどといった地域を次々と占拠した。その後ビエンチャンも占領した。 1972年2月、国政府とNLHSとの交渉で、2月21日「ラオスにおける平和の回復および民族和解に関する協定」(通称ラオス和平協定)が調印された。王政は維持するものの王国政府とNLHSは解体し暫定国民連合政府により行政組織を再編した。その後、ルアン・プラバーンで開催された全国人民代表者会議において、シー・サワーンワッタナー国王の退位が承認され、王制の廃止と共和制への移行が宣言、スパーヌウォン最高人民議会議長兼大統領を頭に置くラオス人民民主共和国が誕生した。

◇ラオス人民民主共和国◇

ラオス王国からラオス人民民主共和国へは大きな混乱はなく粛々と行われた。しかし、タイの国境封鎖とアメリカや先進国の経済援助の停止で政治、経済ともに混乱をした。これを打開するため1977年、ラオス・ヴェトナム友好協力条約が締結され資金や人的な支援を受けた。また、ソビエトや中国との関係強化を図り両国との協力体制を整えた。1979年には新経済政策を閣議決定し自由主義経済を導入した。



旅のラオス語

ラオス語はタイのイサーン語とかなり似ています。ほとんどのタイ語が通用しますが、やはり若干違います。タイ語のできる方は主に違う表現を中心に覚えましょう。

◇基本会話◇

サバイディー おはよう、こんにちは、こんばんは
サバイディボー お元気ですか
コプチャイ ありがとう コプチャイ・ライライ ありがとうございます
ボーペンニャン どういたしまして
コートー すみません
チャオ はい ボー いいえ
ポップカンマイ また会いましょう
ソークディ またね
セープ おいしい

◇数字◇

1〜10はタイ語と同じです。20はサーオ、タイ語はジーシップですね。21はサーオエット。30はサームシップ、タイ語と同じです。 100、1000、10000はタイ語と同じです。 つまり、20、21以外はタイ語と同じ表現です。

1:ヌン 2: ソーン 3:サーム 4:シー 5:ハー 6:ホック 7:チェット 8:ペート 9:カウ 10:スィップ

◇買い物編◇

ラーカー・タオダイ? 値段はいくら?
ルット・ダイボー? まけてくれますか
ぺーン(ラーイ)  高い (とても高い)
ダイ はい ボダイ だめ  

ミー あります ボミー ありません
トー・ラ・タオダイ? ひとついくら?
トー・ラ・サームパンキープ ひとつ3000キープです

◇参考◇

使えるラオス語辞典

※タイ語の数字表現

1:ヌン 2: ソーン 3:サーム 4:シー 5:ハー 6:ホック 7:チェット 8:ペート 9:カウ 10:スィップ
11:スィップエット 12: スィップソーン 13: スィップサーム 14:スィップシー 15:スィップハ−

16:スィップホック 17: スィップチェット 18:スィップペート 19:スィップカウ 20:ジースィップ
21:ジースィップエット 30:サムスィップ 40:シースィップ 50:ハースィップ60:ホックシィップ 

70:チェッシップ 80:ペートスィップ 90:カウシィップ 100:ヌンローイ 200:ソーンローイ 500:ハーローイ
 1000:ヌンパン 10000:ヌンムン 10万:ヌンセ−ン 100万:ヌンラーン 1000万:スィップラ−ン、
 1億:ローイラ−ン、 ゼロ:ス−ン

# 注意:11はスィップ ヌンではなくスィップ エット。20はソーン スィップではなくジースィップになる。

◇参考サイト◇

使えるタイ語 タイ語



ビエンチャン□ Vientiane

タイのノーンカ−イから友好橋を渡りビエンチャンに行くことが出来る。 ラオスのイミグレからビエンチャンへはバス、トゥクトゥク、タクシーで30〜40分。今回はタクシーを半日チャーターした(400バーツ)。

◇見所◇

ワット・シームアン本堂内

タート・ルアン(ラオス最大の仏塔がある)、ワット・シームアン、タラート・サオ

◇感想◇

前回はノーンカ−イで無念にも引き返したが、今回は無事ラオスを訪問することが出来て嬉しい。 印象的だったのは女子学生の制服姿。スカートではなくサロンを着ていた。 黒字のサロンは爽やかな感じだ。撮影したデジカメの画像が消去したのは惜しい。




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