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戦争の体験談を語るわ 

ユーゴスラビア紛争


この文章は2010/05/19の昼から05/23朝方にかけて2chに建てられたスレッドをまとめたものです。 文章の中で筆者(祐希)が言及している通り、文章の真偽については読者自身の判断に委ねられています。


15年以上昔の出来事だから、よく知らない人が多いかもしれないけどさ。

少し長くなるから、先に何が起きたから軽く書いておくね。
今から20年近く前の話だから、多少忘れてたり、間違ってたりするかもしれない。
そこは許して欲しい。

先に結論というか、書いておくけど。
今から話す内容に出てくる子がどうなったか、先に書いておく。
ソニアは殺された。
サニャは爆発に巻き込まれて死んじゃった。
メルヴィナはレイプされて連れ去られた。
メフメット・カマル・ミルコはわからない。
カミーユも死んでしまった。
ドラガンって子は、裏切ったと思っていたけど、実際は違った。

それじゃ、書いてくね。わからない事あったら聞いてください。

あー、書き忘れてたorz ユーゴスラビア紛争の話ね。

俺は色々あって、母親に捨てられちゃってさ、海外に単身赴任している父親と一緒に暮らす事になったんだ。

【セルビア人さん怖いって話ですか】

【俺はスルツキの人達を悪く言うつもりは無い。
実際、どっちが悪いと言えるような状況じゃなかったんだ。
どちらも同じ事をやって、そしてお互いに殺しあってた。
だから、俺が話す内容は、どの民族が悪かって話にはならないように書くつもりだよ。スルツキの人々を悪とするつもりは毛頭ない。】

トルコ経由で向かったわけだけれど、機内から見る空は美しかった。というより眩しかった。
途中で降りた空港には、飛行機の中とは比べ物にならない程の異国の人々がごった返していた。

そこから首都まで乗り換えて向かい、初めて降り立った外国の地というものは、少し気持ち悪かった。
日本と違い、建物はみな似たような作りと色合いで、何で?と疑問に思ったものだ。外国人も背が高く怖いし、そもそも日本語ではない言葉を話している。

俺が父親と住む事になった街は人口数千人ぐらいか。日本と比べたら人口密度はかなり低い場所だった。
周りは山に囲まれてる盆地で、建ち並ぶ統一された住居は、とても綺麗だった。オレンジ色の屋根は当時日本(といっても俺の地元)では目にする事が無かったから、初めは奇抜だと思ったよ。

子どもが親についていき、海外で暮らす場合、多くは日本人学校等に入る事になると思うのだけれど、俺の住む街には日本人学校どころか日本人すらいない。
いや、俺と父さんの二人はいたけどさ。
不安を抱きながら学校へ行っても、皆何を言っているのか理解出来ないわけだ。
当然、俺は一人ぼっちだった。
自己紹介すらきちんと出来なかったからな。
もう少し年を取っていれば、ノリで仲良くする、フレンドリーに接するなんて事が出来たかもしれない。
だけど、当時の俺にそんなスキルがあるはずもなく、どうしようもなかったんだ。
その為、最初の2週間ほどは非常に苦痛だった。

遊びたい盛りの当時の俺にとって、こうした寂しさを我慢するというのは、限界が近づきつつあったんだ。だから、何か遊ぶものを探そうと思って、休みの日にふらっと一人で街を散策していたんだ。一人で街中に行くのは初めてだったから、少し迷ったりしたけれどね。街を行きかう人々を見ながら、学校の方へと歩いていくと、道の端にある空き地で子ども達がサッカーをしていた。

とても羨ましくて、「いいなぁー。」と思ったわけだけれど、「いーれーてっ!」といった言葉はかけられない。というより、その言葉が話せないからな。だから、何も声に出せず、もじもじしながら、その子ども達が遊んでいるのを空き地の端っこでぼーっと眺めていたんだ。

そうとう入れて欲しそうな顔をしていたのかもしれない。サッカーをしている男子の輪の中にいた一人が、じっと見つめている俺に気づいてさ、「一緒に遊ぶ?」と聞いてきてくれたんだ。実際には、そう言ったのだろうというレベルで、俺にはまだこの子が何を話しているのか理解できなかったけれどね。

仮にその男の子をカミーユとしておく。最初は「?」状態だった俺も、ジェスチャーで身振り手振りで話してくれたおかげで、俺を誘ってくれているんだと理解してさ。とても嬉しくなった。
これが現地の子と初めて会話?した日だったと思う。やっと友達が出来るってウキウキしたよ。

【戦争のくだりは何時頃になるのか不安です 】

【まだ先が長い。俺が暮らしていたのはボスニア・ヘルツェゴビナだったんだけど、その時はまだユーゴスラビア連邦の構成国だったんだ。
そこには大体3つの民族、ボシュニャチ(ボスニア人)、スルツキ(セルビア人)、フルヴァツキ(クロアチア人)が混在して一緒に暮らしてたんだ。

そこからどうやって泥沼の紛争になったかを書かないと意味がないと思うから、まだ長くなる。今話してるのは戦争が始まる2年前の話。 】

【書き溜めてるって訳ではないのか 】

【一応、書き溜めてあるよ。
ただ、全部で20万字くらいあるから、その中から必要そうなのを選んで今書き込んでる。本当は手記を出そうと思ったけれど、もう時間がないんだ。
だから、この場を借りてぱぱっと書くよ。 】

お互いに言葉は通じなかったけれど、子供同士、皆で一緒に遊ぶサッカーは最高に面白かった。
子どもの頃はさ、身長や体格といった差は人種が違えどさほど変わらないもので、意外とサッカー中にはボールを触ったり、奪ったり出来た。これも、カミーユがパスをくれたお陰だとは思うけどね。泥まみれになって遊ぶのは楽しい。遊びつかれて夕方家に帰ると、久しぶりに父さんが早く帰ってきていてさ。「どうしたんだ?友達でもできたのか?」みたいな事を聞いてきて、「もちろん!」ってニコニコしながら答えたよ。思えば、この街に来て初めて笑った日だったかもしれないなー。

次の日学校へ行ったらさ、小さい街だからやっぱり同じ学校だったわけよ。
放課後に校庭でカミーユ達がサッカーしているのを見つけて、そこに駆けていったね。
カミーユも俺を見るなり駆けてきてさ、「サッカーやろう!」って誘ってくれたんだ。
昨日いたメンバーの他にも、クラスの子とかがいたりして、身振り手振りのコミュニケーションしかできなかったけれど、仲良くなるきっかけになったよ。

【時間がないと書かれると先が短いと理解していいのか? 】

【うん。今仕事も引き継ぎ終えて、来週ぐらいには多分、日本にも居ないよ。
その前に、約束を果たさなきゃいけなくてさ。 】

その日以降から、言葉は殆ど通じなくても、一緒に鬼ごっこしたりサッカーしたりして遊んでさ、クラスでも徐々に一緒に過ごす友達が増えてきて、学校がとても楽しかった。
特にカミーユとかドラガンはクラスが違うっていうのに、休み時間になると俺のクラスまで来てくれてさ、一緒にくだらない遊びしてたな。昼休みはワンバンっていって、サッカーボールを一回のバウンドだけでキャッチして相手に蹴るゲームとかやったりしたなー。
何でここまでカミーユ達、特にカミーユが仲良くしてくれるのかはわからなかったけれど、ありがたかったよ。その理由がわかった時は、すごく辛かった。

とはいってもさ、学校のない日はやっぱ暇な時が多い。毎回カミーユ達と遊べるわけじゃないしね。
それで色んな所を一人探検したりしてた。高原っていうか平原が無限に広がってる感じで、なかなか面白かったよ。

そんなある日、カミーユ達はモスクだとか教会がどーのこーので遊べないから、いつものように一人で探検してたんだ。
そしたらさ、少し丘を登って過ぎたあたりに、家があったんだよね。結構ぼろっちい。
最初廃墟かと思って、潜入を試みたわけなんだけど、庭に入ったところで同い年位の女の子とばったり鉢合わせちゃったんだ。
二人同時に「ビクッ!」ってなったね。ヤバイ。人が住んでたってわかった俺は、そのまま逃げればいいものをさ、慌てちゃって何故か自己紹介しちゃったんだ。日本語でだけどね。

【カミーユなんて女みたいな名前だな 】

【バリバリあっちだと男だよw
日本のアニメとかで付けられる名前は変だと思う。 】

そしたら、俺が大体何言ったのか理解したっぽくて、名前を教えてくれてさ、豆?みたいなお菓子をくれたwあ、仮にこの女の子をソニアってしとくわ。

街の中心からソニアの家までは子どもの足で大体1時間か2時間ぐらいなんだけど、ソニアは同じ学校じゃないんだよね。同じ学年なのになんでだろうって思ったけど、当時はまだ何も知らなかったから、ふーんって位にしか思わなかった。
それから夕方ぐらいまで近くの丘で花摘んだりしながら遊んでたんだけど、気づいたら暗くなってきてたんだ。このまま歩いて帰っても、また1・2時間かかっちゃう。
どうしようって思ってたら、丁度ソニアパパが帰宅してさ、ソニアと何か話した後に俺をソニアと一緒に車で街まで送ってくれたんだ。

【スレブレニツァじゃないよな? 】

【あそこは悲惨だったと思う。でも、俺はカリノヴィクだ。 】

家の前まで送ってもらった後に、「ドビジャニヤ!ハンデダゼニカジェネチェニデルデ!」って感じで、バイバイ、また遊ぼうねって約束して別れたんだ。

送ってもらう途中、言葉話せないってアピールしてるのに、ソニアパパが笑顔で色々と話しかけてきて少し困った覚えがある。
ソニアはソニアで一緒に作った花の輪を俺の頭にのせてきたりしてた。

【強姦のオンパレードじゃねえか 】

【だけど、本当に辛い出来事は、カリノヴィクから脱出してフォチャそしてゴラジュデに向かう途中でおきたんだ。はっきりいって、感動とかの話じゃない。人が死んで、そして殺しての話だから。
だから最初に、皆がどうなったか書いたんだ。苦手な人が読まないようにね。 】

【手記データにしてあるなら最後にそれアップして欲しいかも 】

【わかった。最後にアップするよ。 】

その日は父さんの夕飯食ってる最中に、ソニアの話ばっかりしてたなー。
思い返せば、この時既に俺はソニアに一目ぼれしてたんだと思う。

それからは、学校ある日はカミーユ達とサッカーしたりして遊んで、休みの日は毎回2時間位歩いてソニアの家まで遊びにいってた。
学校も楽しかったけど、週に1度ソニアのトコに遊びに行くのはもっと楽しかった。楽しいと言うより、楽しみだった…だな。

【そっちいた頃は主に何食ってたの? 】

【ブレクだとかたまに、ボサンスキ・ロナッツ。
ただ、父さんは仕事から帰ってくるの遅いのが多いから、豆とか多かった気がする。 】

大体する事と言ったら、花を摘んだり、オママゴトしたりさ、人形遊びしたり、ソニアパパの猟にくっついていったりぐらいなんだけどね。
ソニアのパパもママも、毎回来て迷惑だろうにソガンドルマとか作ってお昼に食べさせてくれた。あの味は今も忘れられないよ…本当に。
野菜嫌いだった俺に野菜の美味しさを教えてくれたよ。

夏休みに入った時期だったかな。学校で普段一緒に遊んでたメンバーと飽きずにサッカーしてたんだ。まだこっちの気候に慣れていない俺にとって、乾燥した夏ってのはそれはそれで辛いものだった。喉が凄い渇く。
日本のじめじめした夏が懐かしかったな。

少しサッカーして、休憩した後にさ、俺が休みの日に何してるのかって話しになって、ソニアって同い年の女の子の家に遊びに行ってる事を話したんだ。俺らの居る街は人口も少ない。だから子どもは殆ど同じ学校に通っているわけだけれど、ソニアは通っていない。じゃあ、俺らで遊びに行っちゃうか!?という話へ自然となったんだ。

ただ、女の子の家に男だけで行くのも少し恥ずかしいらしい。そういうわけで、他に学校の女の子二人と俺を含めて6人の男子、8人でソニアの家に向かったわけだ。
当時ペットボトルとかいう画期的な容器はないから、重い水筒らしきものを背負って皆で高原を歩いていったわけだ。日本に比べて気温は高くないんだけどさ、日によっちゃ凄い熱くなったり、夏なのに気温低かったりしてな。その日は凄く暑かった。皆汗だくになってヒーヒーいいながらも、何時もより時間かけつつも到着したわけだ。

あー、俺以外の7人は、
カミーユ
ミルコ
メフメット
カマル
ドラガン
サニャ
メルヴィナね。

ソニアの家の前でさ、皆で「ソニャー!ハンデダゼニカフゥバルサマナー!」って呼んだんだ。
少ししたらバタバタしながらソニアが出てきてさ、俺達みた瞬間目が点になった様に固まってた。
俺はさ、学校の友達連れてきたから、皆で遊ぼうって言ったんだ。
そしたらソニアは少し怯えながら「こんなに大勢で遊んだことないから怖い」って言うんだよ。

【その時点では言葉はなせたのか 】

【俺が来たのが1990年4月で、この夏っていうのはその年の7月の事なんだ。
カタコトではあるけれど、多少理解できるようになってたよ。まだ6歳ぐらいだったから覚えるの早かったのかもしれない。 】

そうなのかーとは思ったけど、なら良いチャンスだ!というわけで、皆でサッカーをする事にしたんだ。実際は、男子6人がサッカーをしてソニアたち女子は3人で花を摘んだりしてたわけだけどさ。

帰り際にソニアが目をキラキラさせながら、今日は楽しかった!ありがとう!と言っていたのが印象的だった。帰り、街までソニアパパがいつものように送ってくれると言ってくれたんだけど、8人は流石に乗れないので、サニャとメルヴィナだけ車で送ってもらって、カミーユや俺といった男子は歩いて帰る事にしたんだ。夏だからまだ外も明るいしね。

この年の夏は、俺がこの国に滞在した期間の中で最良の夏だった。
毎日何も心配せずに遊び、疲れたら寝て、そして朝起きて遊ぶを延々と繰り返していたよ。
ただ、金曜と日曜は殆どの子達がモスクやら教会に行く為暇なんだ。
だから、その日は大体ソニアの家で過ごしてたな。
当時は宗教というものをよく理解していなかったし、何かのイベント程度に思っていた。

【同い年か
当時はファミコンでロックマンしてたなぁ 】

【今26歳? 】

初めて皆で遊んでから少し経った金曜日、この日も毎週と同じく非常に暇を持て余していた。
じゃあ、またソニアの家に遊びに行こう!と考えた俺は、水筒を担いで向かったんだ。
家に行っていつもの様に遊んでいると、お昼ぐらいになった。
ソニアパパとママは礼拝があるからと言って、お昼を準備した後、ソニアと俺を残してモスクへ出かけていった。
この日は普段と違って特別な昼食だったよ。

いつもはご飯の後にデザートなんて出ないんだけど、この日はバクラヴァが出たんだ。
最初は、ただのデザートだと思っていたんだ。だけど、ソニアがニコニコしながら、「特別なんだよ」って教えてくれた。

このバクラヴァは今でこそ日本にもあるらしいけれど、現地では特別な日に食べられる事が多いデザートなんだ。何故、この日が特別なのかは最初俺にはわからなかった。だから、「何で?」と質問したんだ。

すると、ソニアは少しモジモジと照れながら、「祐希が私の友達になってくれた。一杯のお友達を連れてきてくれた。そのお礼の日だから。」確かこんな事を言われたんだ。当時の俺は気づかなかったんだけど、前にも書いたとおり、ソニアは俺達と同じ年齢にも関わらず学校へは行っていなかったんだ。学校自体に通っていなかったのか、それとも不登校だったのかは未だにわからないけれどね。

だから、ソニアには全然友達が居ないんだ。俺はソニアにとって、初めて出来た異性の友達で、そして久しぶりに出来た友達だったんだ。
こんな目と鼻の先、数キロしか離れていないのに、不思議だよな。おかしな話だ。でも、それがこの国の現実だったんだ。
この時は、そういった事を何も知らなかった俺には、そうなんだー位にしか思わなかった。

そういった事もあって、ソニアパパは、一ヶ月前に出会った日の帰りの道中、ニコニコしながら俺に一杯話しかけてくれたし、遊びに行くたびに歓迎してくれて、そして帰りはわざわざ車で送ってくれていたんだ。
この時は謙虚だとか遠慮だなんて言葉すら知らなくてさ、ソニアパパやママには図々しい事を沢山してしまったなと思う。

【なんで先に結論書いたんだ・・・なんで・・・っ! 】

【先に書かないと、読んでいて辛い気分になる人が出てくると思う。
だから、最初に書かせてもらった。最初に書いてあったほうが、皆も辛くないと思ったんだ。ごめん。 】

バクラヴァを食べながら「美味しいね。」ってソニアに言うと、ソニアは照れくさそうにしながら、「私も作るの手伝ったんだよ。」と言ったんだ。

そしてこの日、俺は夕飯前に帰ろうと思っていたんだけど、ソニアパパやママの勧めで夕飯を食べていくことになったんだ。ソニアのパパやママは朝と昼のご飯を食べていなかったから、夕飯はとても豪勢だった。お肉はなかったけれどね。ソニアも笑顔で笑っていてさ、とても幸せな食卓だった。優しい家族だった。

夕飯を食べ終わった後はソニアの家族と日本の話はこの国の話をしたりしてた。
気づくと時間も遅くなっていたんだ。父さんに連絡して早く帰らなければと、慌ててソニアパパにそろそろ帰るという事を伝えた。
すると、「今夜は遅いから、家に泊まりなさい」と言われたんだ。

流石に一緒のベットではなかったけれど、俺とソニアは夜遅くまでおきて、ベットの横にある窓から、澄んだ夜空を見上げて、色々と話していた。
初めてヒジャブを外したソニアを目にした。照らされた褐色の髪がキラキラしていた。
この時だったと思う。漠然としたソニアに対する自分の好意が、ソニアに対する恋だと気づいたのは。月明かりに照らされたソニアの顔は、とても綺麗だった。短い6年という人生しか歩んできていなかった俺にとって、この時のソニアは美しすぎた。そして、こうして26歳になった今でも、この夜のソニアを超える美しい女性とは出会えていない。

ずっとこうしていたいと思っていたよ。二人で顔を手を繋ぎながら、「ずっと一緒にいたいね。」、「ずっと一緒にいようね。」そう約束したんだ。

ごめん。書いてて気持ち悪くなってきたぜ。少し休憩させて下さい。
何かわからない事あったら、答えられる範囲で答えるよ。ごめんよ。

【そんなに書き溜めてあるなら本でも出せばw 】

【出さないし、出せないよ。もうすぐ俺死ぬしさ。
時間がないんだ。書くのは約束を果たす為だからなんだ。 】

【なんだよその約束って
復讐でもするのか? 】

【復讐は何も生まないよ。それを身をもって体験したつもり。
約束は、俺が経験した事を何時か遠い国の人にも伝えろって事なんだ。
だから、今それを果たさなきゃいけなくてさ。 】

【病気か何かなの 】

【いや違う。健康だよ。ただ耐えられなくなったからさ。
とりあえず、この件についてはこれでおしまいで。 】

朝になったソニアママに起こされた時、俺とソニアは同じベットで寝てた。
多分、話している途中で寝ちゃったんだろうな。
ソニアママは少し驚いていたけれど、俺達の頭を撫でながら、パパには内緒だね。と微笑んでくれた。その意味は当時理解できなかったけどね。

気持ちとしては、家に帰りたかったのだけれど、ソニアパパがフォーチャの街に買い物に行こうと言うので、一緒に付いて行く事にしたんだ。
フォーチャまでは基本的に一本道で、高原を抜けた後は延々と山と山の間の道を通り抜けていった。途中で沢山の木を積んだトラックがかなりゆっくり走っていたりしたな。トラックは相当年季が入っていた。

【子供の頃の話なのにそんなに鮮明に覚えてるんだな 】

【そりゃ日記を書いてたからね。そうじゃなきゃ、殆ど覚えてないと思う。
とはいえ、記憶違いな部分もあるかもしれないから、最初に忘れてたり間違えてたりするかもって書いたんだ。 】

フォーチャの街が、ドリナ川の対岸に見えた時は、その景色がまるで絵画のように綺麗で、感動したよ。街にはカリノヴィクと比べて沢山の人たちがいて、活気があった。日用品を買ったりしたり、ご飯を食べたりしたよ。

昼食を済ませた後だったと思う。結構古い雰囲気のモスクがあって、まだきちんとしたモスクを実際に目にしていなかった俺は、「あれは何?」って聞いたんだ。
そしたら、歴史あるモスクだから、見学してみるか?ってソニアパパが言ったんだ。

俺は当然異教徒なわけだけれど、丁度礼拝みたいのをやっていてさ、俺も混ざっていい?って聞いたら、勿論って言われて、一緒にアッラーフアクバルーみたいな言葉を唱えた。
貴重な経験だった。まさかこの場所にまた来ることになるとは、この時はまだ想像もしていなかった。

【なんですぐ死ぬとかいうの!(`;ω;´) 】

【すぐ言ってるわけじゃない。15年だよ。15年も耐えてきたよ。毎晩のようにソニアとかメルヴィナとかサニャが死ぬ夢を見て、それでも生きなきゃって思って生きてきたよ。
ドラガンを憎んでさ。それだけが俺の支えだったよ。
だけど、その支えもなくなって、もう耐えられないんだよ。もうこんなに頑張ってきたのだから、ゆっくり休みたいんだ。 】

8月になると、9人で一緒に遊ぶことが多くなった。
ソニアの家が遠いから、殆どソニアの家かその付近で遊んでいたけれどね。
ソニアの家から少し歩いた所にある山に、秘密基地のような場所を作って遊んでいたよ。カミーユが持ってきた立派な双眼鏡みたいなのを使って、街を見たり、遠くを眺めたりしてよく遊んだなー。
この双眼鏡のせいで、後であんな事になるとは思いもしなかったよ。

【これどうしたらいいんだ。どんなテンションで読めばいいの?ねぇ 】

【笑ったり、馬鹿にしながら読んでくれて構わない。俺の妄想話だと思ってくれ。
その方が、俺も書きやすいし、精神的に楽だからさ。
自分だけが書いてると、気が滅入ってくる。 】

あー、そうそう。山と言えどもこの地域は木が少なくて、動物もあんまりいなかったな。
今はどうか知らないが。

確かドラガンだったと思う。ドラガンが敵の攻撃に備えるといって、草を結んで罠を作ったりしていたんだ。そしたらサニャがそれに引っかかってしまって転んでさ。そこにカミーユがすっ飛んできて、「サニャが怪我したらどうするんだー!」ってすごい怒っていたよ。
それでサニャを慰めていたんだけど、それを見た俺以外の男子は皆で「カミーユはサニャが好きでーす!みなさーん!カミーユはry」ってからかったりしてたな。

カミーユはそんな事ない!って怒って否定してたけどさ。
当時の俺達にはそういった行為は格好のからかいのネタだった。
見かねたメルヴィナが「やめないよ!」って怒ったから、収まったけどね。オロオロしていたソニアは、後でこっそり俺の所に近づいてきて、「内緒だよ。内緒。」と言ってきた。
俺は理由がよくわからなかったけれど、「うん。」と答えた気がする。

メルヴィナも俺達と同い年なわけだけれど、かなり精神が大人だったな。
仲良くても、子どもだからほんのささいな事でどうしても喧嘩をしてしまう。
そんな時は、いつもメルヴィナが間に入って、「喧嘩しちゃだめ!」って言うんだ。
どっちも悪いって言ってね。ドラガンやミルコ達がイタズラをしても、危ないから駄目って叱ったりして、俺達のお姉さんみたいな存在だったな。

ソニアは大体オロオロしてて、小動物みたいだった。男だから母性本能みたいのはないはずなんだけどさ、守ってあげなきゃって自然と思ったりしたな。

ああ。ごめん。何で戦争が起きたかとか、そういうのを説明しなきゃ駄目だよな。
後で説明しようと思っていたけれど、先に簡単に書くね。
いや、後の方がいいか・・・。皆さんに任せます。

【時間は腐るほど持て余してるから好きなように長々書いてくれ 】

【じゃあ、軽く書くね。補足とかあれば言ってください。 】

この国一体はさ、昔はキリスト教圏だったのだけれど、15世紀くらいにオスマントルコの支配下に入ってさ、非キリスト教徒であった人とか、現地のスラブ人がムスリムに改宗したりして、ムスリムの比率が高まったんだ。

その後、セルビア王国だったかな。当然、スルツキ(セルビア人)を優越して、他のフルヴァツキ(クロアチア人)やらボシュニャチ(ボスニア人)は長年不満を抱いていたんだ。
特に、フルヴァツキの人々は民族意識が高くてね。

そして各民族の民族意識の高さが、第一次世界大戦へと繋がっていくんだ。
この事は、皆知っていると思うので書かないけどね。

そして第二次世界大戦期、この地域の大半がナチスドイツの傀儡国家としてのクロアチアの支配下に組み込まれたんだ。この支配下ではさ、フルヴァツキの民族主義組織、確かウスタシャだ。
ウスタシャによってスルツキの人々は激しい迫害を受けて、数十万人(30〜100万?)の人々が殺害されたんだ。

また、これに対してスルツキの民族主義者チェトニクによって、フルヴァツキやボシュニャチの人々が殺された。
つまり、この時期、フォーチャをはじめとする各地で、ウスタシャとチェトニクによる凄惨な民族浄化の応報が繰り広げられたんだ。チェトニクはさ、フルヴァツキやボシュニャチの人々を徹底的に虐殺して、犠牲者はフルヴァツキ20万人、ボシュニャチ9万人ぐらいって、チェトニク側から公表されてる。

この民族浄化っていうのはさ…つまりは市民を襲うんだ。村を。女や子どもはレイプしたり殺したりして、男は喉を切って殺したりして。

何でここまで殺しあうんだ?って思うかもしれない。これはWW1以前の因縁もあるけれど、やはりWW1後に誕生したユーゴスラビア王国による政策に問題があったと思う。
建国当初からさ、スルツキによって国は占められていてさ、民族意識の強いフルヴァツキの反発が絶えなかったんだ。

そこにウスタシャがつけこんで、反セルビア、打倒セルビアへと支持を拡大しながら突き進んでいったんだ。
これは、ユーゴ崩壊につながるフルヴァツカ紛争(クロアチア紛争)やボスニアの紛争にも繋がっていくんだ。

一方で、チェトニクは大セルビア主義という、西部バルカンの大半はセルビア人の土地っていう認識を持って痛んだ。

【セルビアってマジキチ民族だよね
スラブ系ってみんなマジキチだけど 】

【待って。スルツキの人々を貶めるつもりも、批判するつもりもないんだ。
だって、歴史を見れば、他の民族の勢力下にいたスルツキは、何度も虐殺とかの犠牲になってるんだ。だからこそ、自分たちによる自分達の国家を作ろうって、そして守ろうって考えたんだ。

皆、殺したくて殺してるんじゃなくて、殺さなければ殺されるって意識の下で戦ってたんだ。
だからこそ、単純に誰が悪いとは言えなくて、そして未だにバルカン半島が火薬庫である理由なんだ。 】

この主義は、セルビア人とセルビア人の土地をひとつの国家に統一するという第一の目標があり、中にはセルビア人が少数であっても、セルビアの土地という認識があるものもあった。
セルビア国家にとって、大セルビアは必要不可欠であり、セルビアの歴史的格言「統合のみがセルビア人を救う」との事で、正当性・必要性を訴えていた。第一次世界大戦ではこの主義が原因となり、国境外各方面でセルビア人たちが統一セルビアの建設の為に戦い、1990年代の紛争では統一されたセルビア維持のために戦った。
また、ユーゴスラビアはWW2以降もセルビア人以外を軽視しており、それが各民族を刺激してしまった。

現在においても、セルビアのセルビア急進党という右翼政党では、ボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチアの大部分のみならず、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーの一部をも含めた大セルビアを建設すべきという綱領を掲げている。この方針によって、クロアチアではユーゴ紛争時にクライナ・セルビア人共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナではスルプスカ共和国が建国された。(スルプスカ共和国は現在もボスニア・ヘルツェゴビナとの連邦制を採用し残っている)
セルビア人からすれば、歴史的仇敵であるクロアチア人などの、敵対勢力の支配下を避けることで、これらの地域におけるセルビア人の権利を守る必要があったんだ。

【祐希よ
こんなところで話したって
この話がこの先多くの人の目に留まる可能性は低いぞ 】

【それでも構わないんだ。
例え本を出したとして、日本人の誰が買う?誰が読む?
ブログで書いたとして、誰が見に来る?見に来ないよ。

だって、世界は深刻な状況になって初めて動いたんだ。
日本でだって、そんなに報道されていなかったと思う。
自分達に関係ない話だから。それでもいい。
これは俺のわがままで書いてるだけだから、多くの人が見てくれなく居ても構わないよ。 】

楽しい夏休みはあっという間に過ぎ去ってしまい、気づけば9月になっていた。学校が始まると、それまで毎日のように会っていたソニアとも会えなくなり、とても寂しかった。それでも、一つ変化があったんだ。
今までは、平日は学校の8人で遊び、休みの日にはソニアの家に俺一人で行っていたのだけれど、夏休み明けには、土曜日には皆でソニアの家に行くようになってた。
俺の場合は、次の日の日曜日にも一人で遊びに行っていたけれど。

今考えると行き過ぎだったと思う。でもソニアと会いたくて、遊びたくて仕方が無かったんだ。ソニアやソニアのパパ・ママもまた来週って帰り際に言ってくれてさ。出会って数ヶ月だというのに、まるで小さい頃から一緒だった幼馴染のようだったな。

9人で遊ぶ時は秘密基地で、ソニアと二人で遊ぶ日曜日はソニアの家で過ごしていた。たまに学校の別の子と遊んだりもしたけどね。

今と違って携帯電話とかがなかったから、遊んだ日に大体次の約束をして、どうしても行けない時はソニアに電話して伝えてた。

12月に入るとスルツキやフルヴァツキの人々が慌しくクリスマスの準備をして、小さい街ではあるけれど、少し華やかになったのを覚えている。
ボシュニャチの人たちは基本的にムスリムだから、普段と変わらない生活だったんだけどね。

俺と父さんは久しぶりに休日を一緒に過ごした。
休みの日は殆ど家に居なかったからね。父さんは色んな料理を作ってくれたよ。どれもやっぱり美味しくなかったけれど、それでも嬉しかった。
「外国で生活させてしまってごめんな。」といった事を言われたけれど、俺にとっては、既にこの国が故郷のように感じていたし、何より俺に居場所があるというのが嬉しかった。だからこの国で一生暮らしたいって言ったよ。

父さんは笑いながら、ここしか仕事ないし、永住するかみたいな事を言ってた気がする。

新年が過ぎ、冬の季節になった。日本と比べてそこまで寒いわけではないと思っていたけれど、実際には急に冷え込んだりするから常に厚着をして、厚い時は脱いで手に持ったり、リュックに入れたりしていた。

皆で雪だるまを作ったり、丘から雪だるまを落としたりして遊んでいた。
周りは広い平原というか高原、そして山々に囲まれた盆地だったから、本当に一面が真っ白で、ソニアの家から見る景色は綺麗だった。

確かこの時雪合戦をしたんだ。皆で雪の壁で陣地を作って、4・5に別れてさ。ドラガンの奴が雪をかなり硬く固めてさ、痛かった。
あぶないなぁーなんて思ってたら、それが丁度サニャの目に当たっちゃったんだ。
サニャは涙ぼろぼろ流しながら大丈夫、大丈夫って言ってたんだけど、それを見たカミーユがぶち切れてしまって、ドラガンにつかみ掛かってた。
止めなきゃって思ったんだけど、この時はメルヴィナが好きにさせときなって言ってさ。

「男の子なんだから、たまにはああやって喧嘩しないと分かり合えない。」みたいな事を言っていたよ。やべーメルヴィナやべー。って皆で口々に言ってた。

少し経つとさ、二人とも青タン作りながら喧嘩をやめて、ドラガンがサニャに謝った。
「怪我をさせるつもりじゃなかった。ごめんね。」みたいな事言ってたな。
メルヴィナが俺の後ろでぼそっと言ったんだ。
「悪いと思えば、悪いと思うほど、素直に謝れない時があるよね。
あそこで二人が喧嘩をすれば、ドラガンは素直に謝れる。良かった。」ってね。

【メルヴィナに惚れた 】
【やべーメルヴィナやべー。
でも後に・・・ああああああああああああ 】

【うん。メルヴィナは長女でさ、弟が確か何人かいたんだ。
だからかもしれないけど、色々と観察して、何時も一人冷静に俺達の見守り?じゃないけど、注意とかしてくれた。
とても優しくて、強い子だった。 】

サニャは大丈夫って言ってたけど、結局雪合戦は近くで座って見てることになってさ。
カミーユも雪合戦をやめて、サニャと一緒に座ってたな。
今思えば、子どもって素直で正直だなぁ。

この時期は、ソニアママの言いつけで、危ないから秘密基地には行かないって皆約束させられてたな。

そして気づけば5月。この国で過ごして1年が経過していた。
毎日が充実して、予定が一杯あって、忙しい日々だったと思う。
それでも、当時の俺にとっては、この一年がとても長く感じた。
充実した一年ではあったけれど。

俺の家に8人を招待して、皆でお祝いパーティーみたいのをしたんだ。
父さんは料理が下手だっていうのに、気合を入れて日本料理を作ったりしてさ、でも皆の口には合わなかったらしく、全員引きつった顔をしていたよ。
俺も不味くて引きつった表情してしまったけれどね。
それでも、父さんは俺が友達を作って、そして毎日仲良く過ごしている事に喜んでくれているようだった。

この時は、ずっとこの幸せな期間が永遠と続くと思っていたよ。

6月末頃だったと思う。隣のフルヴァツカで戦争が始まったんだ。
隣国だけれど、自分達には特に関係がないものだと思っていた。

しかし、実際にはそう簡単な問題ではなかったんだ。
街だけでなく、学校のクラスにおいても、スルツキ・フルヴァツキ、そしてボシュニャチの間で気まずい状況になり、ついにはクラスの席が民族ごとに別れる様な状態になってきた。

言うまでも無く、今までのように放課後一緒に遊ぶ事は出来なくなったんだ。
ただ、それでもまだ大きな紛争にはなっていなかった。
まだフルヴァツカだけの話で済んでいたんだ。

だから、民族間の陰での対立が始まる兆候が見えてからも、俺達は大人に隠れてこっそりと秘密基地に集まっては、9人で遊んでいた。自分達には関係ない話だったんだ。
俺達にとって大切なのは、民族や宗教じゃなくて、目の前にいる友達だった。だから、何があっても俺達は仲間だ。一緒に助け合っていこう。ずっと一緒だ。
そういった約束を交わしたんだ。

ごめん。言い忘れてたけど、俺は日本人で、
ソニア、サニャ、メルヴィナ、カミーユ、メフメット、カマルはボシュニャチでムスリム
ミルコはフルヴァツキでローマ・カトリック
ドラガンはスルツキでスルプスカ・プラボスラニナ

あ。スルプスカ・プラボスラニナっていうのは、セルビア正教ね。

俺達は友達であり、お互いに信頼し合う仲間だったけれど、同じ言葉を話しているとはいえ、違う民族、そして違う宗教を信ずる集まりだったんだ。

【なんでこんなゴミ溜めのVIPなんかに投下したんだよ 】

【ここがゴミ溜めなら、外は偽善者ばかりの地獄だからだよ。 】

戦争へ

この先の文章はかなり刺激的な表現が多くなってきます。
ご注意ください。