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■二女高放送部の皆さんは現在ビデオドキュメンタリーとラジオドラマの制作の真っ最中。秋の新人大会に向けて頑張っています(2001年8月18日)。 ■二女高放送部がぴぴんヒロシマ参加作品として「戦争の世紀から平和の世紀へ」というビデオドキュメンタリーを発表しました。詳しくは宮城二女高放送部(022-257-5506)までお問い合わせ下さい。(2001年11月10日) ■ぴぴんヒロシマ2001の記録(宮城県第二女子高等学校放送委員会顧問 高島邦俊) 8月4日(土) 昨夜の激しい雷雨は一体なんだったのだろうかと思わせるほど、朝は眩しい光に溢れてりつく太陽の日差しが肌に痛いくらいであった。広島の暑さを思う。
東日本放送の岡本さんから同行取材の依頼を受ける。現地での合流を約す。 8月5日(日) ハイウェイバスは比較的快適であった。多少体は痛んだが年のせいか。横浜を過ぎるあたりに降っていた激しい雨も富士SAあたりではすでにあがり、広島では燦々たる夏の太陽に出迎えられた。 ホテルにチェックインしたのちあわただしくフィールドワークの出発点である原爆資料館に向かう。広島県教組が主催するもので参加自由の催しである。二女高放送部は浜本さんが担当ということになり、公園内の碑巡りを約2時間かけて行う。移植された被爆アオギリの次に峠三吉詩碑の説明を受けた後は、炎天下でのフィールドワークとなり、今朝着いたばかりの生徒たちにとっては結構ハードな内容であった。この日広島は最高気温36.7度を記録。浜本さんの話も聴こうとはしているのだが、放送機材の準備も四苦八苦しながら慣れぬ手つきでマイクを向けカメラを向けるため、浜本さんの話がどの程度残っているか。広島の暑さに蒸発しないように願う。 公園を一巡する中で、中央の慰霊塔のわきに高く掲揚された日の丸が異様に映る。 フィールドワークを終え、ジュースをご馳走になる。渇ききったのどを潤してくれるジュースの味はまた格別であるが、飲みながら慰霊塔を見やると右翼の集団が日の丸を先頭に行進している。公園の脇には右翼集団の大型バスがこれ見よがしに止められており、そのボディにはアメリカに謝罪を求める文言が書き込まれていた。脇目でその文字を追いながらそれだけではないはずなのにという思いが巡る。 紙屋町の地下街で昼食をすませた後、メッセージfromヒロシマの会場(県立体育館小アリーナ)に向かう。会場で東日本放送の岡本さんと合流する。 小生は、中でも韓国の女子高生が話した言葉が印象に残っている。「隣の国で、或いは周辺の国でいろいろな出来事が起こっているとき、そのことに関心を示している人は多いのだろうか。私にはそうは思えない」というものだ。国内のこと(たとえばハンセン病訴訟)でさえ関心を持ち得ない状況の中で、これは重たい言葉だった。これを聞きながら、50数年前の出来事に想像力を巡らせることの難しさを思った。「明日の平和祈念式典には小泉首相も来るよ、どう思う」と問うと「カッコイイ」という答えが返ってくる。こういう反応の中で、ヤスクニやヒロシマ・ナガサキの意味も薄められていくのだろうか。 アリーナでの取材終了後、予定していた原爆資料館は明日に回してホテルに帰る。 岡本さんから帰仙後にも取材させて欲しい旨の申し出があり、10日10時放送室集合ということにする。
8月6日 昨日が36.7度を記録していたせいか、朝は多少涼しく感じられた。7時にホテルを出発(ついでながら宿泊した広島グリーンHは爆心地である島医院に隣り合わせている)。ホテルで合流した東日本放送の岡本さんも共に祈念会場へ向かう。小泉首相が来るせいかかなり厳しい報道規制がしかれており、一般席に座ったのだがそこからでもカメラでの撮影はできなかった。会場では大勢のボウイスカウトが動員されて参列者にパンフレットなどを配っている。式の前に何か物々しく叫んでいる老人が強制的に退場させられていた。式全体は粛々と進行し何事もない。小泉首相の言葉もあったが、靖国参拝の免罪符代わりだろうと思うと腹が立つ。 「世界の子ども平和像除幕式」に間に合わせるため終了直前に席を立つ。儀式ではあるが出入り自由でありいささか不思議な感じがした。それはともかく会場を離れようとする直前来賓退場のアナウンスがあり、小泉首相が帰るらしく、沿道には多数の報道陣とこの機会に彼を一目見ようとする群衆が殺到、その狂騒ぶりが式典の静謐さとどこかそぐわない。どこかおかしいのではないかと思いつつ、市民球場前に急ぐ。 「世界の子ども平和像除幕式」は、高校生平和ゼミナールが主体となって行ったものでありそれゆえ格好の取材ができるかと思ったのだが、式は予定より早く始まっており、除幕の瞬間には残念ながら間に合わなかった。しかし生徒たちは式終了後に主催した高校生たちに果敢にインタビューを試みていた。中には宮城から取材したことを聞き逆に感激され、話が弾んでいると言う一幕もあった。同じ高校生という気安さがあるのだろう。 10時頃、ホテルに戻って朝食をとる。その後一応チェックアウトするが、荷物を預かってもらい原爆資料館に向かう。 この日は高校生無料。館内のストロボ撮影は禁止だが、ビデオ撮影は可ということで、テレビ班の生徒はかなり丁寧に撮影していた。約2時間で一巡する。地下も見学できるのだがここは省略する。10数年前に訪れたときにはなかった東館があり、展示内容も豊富になっていた。東館では、いきなりショックを受けないように配慮しているのかどうか分からないが、原爆投下に至る歴史的な経過、マルチスクリーンによるエノラ=ゲイの飛行から投下までのビデオ上映、投下前と投下後の公園周辺の模型図、さらにその二階では核兵器の問題点、今日も続く核兵器開発の状況や平和運動の流れなどがわかりやすく展示されている東館から西館にわたるところには休憩所が設けられ、「はだしのゲン」のビデオ上映や書籍販売などが行われている。一休みの後西館に向かうと、一転して被爆当時の状況が再現されている。小生は一度観ているせいかもしれないが、以前訪れた時ほどのショックは受けなかった。それでも暗澹たる思いで展示物を観る。解説のためのボランティアの方々が説明をしている。8月6日だけのものなのだろうか。勝手ながら静かに観て歩きたいと思う。ボランティアの方々の明るい声が生々しさを減じさせてはいるが……。 6月10日〜17日 放送室に集合し、東日本放送の取材を受ける。さらに生徒宅で取材した後、同行取材の模様も含めて17日の夕方に放映された。内容はよくまとまっていたと思うが、やはり宮城ネットやぴぴん広島の活動は紹介されず。テレビ局にとってはそんなことはどうでもいいことなのかもしれない。マスコミに過大な期待をかけるのは問題だが、こうしたユニオンの活動は何とかPRしていきたい。 ■参加した生徒さんたちの感想です。 平和とは何だろうか。広島へ取材に行き、私はそれをあらためて考えさせられた。 戦争を体験したことのない私にとっては、戦争を実際に体験した人々が求める「平和」というものがよく分からなかった。だが広島の人に聞いた悲痛な体験談や、平和記念資料館で見た被爆の惨状をしめす写真の数々は、私に衝撃を与えた。もうこんなことは絶対にあってはならないはずだ。なのにアメリカやロシアは、より強力な核兵器を今も作り続けている。それらがすべて廃絶し、争いが消えた時、初めて人々が安心して暮らせる「平和」が訪れるのではないだろうか。 広島への取材は、平和という言葉の意味と、重さを教えてくれた。それを真正面から受け止め、皆で平和を作っていくことが大切だ。 今回の取材では、原爆資料館、碑めぐり、メッセージfrom広島、映画や被爆者の話など、広島、平和、核兵器について考える時間が多く、その分とても考えさせられることばかりでした。広島の人々を襲った、原爆。「なぜ。私たちが何をしたと言うのか」と、訴えていた被爆者の方。しかし、元を辿れば、原爆は確かに恐ろしく、残酷な物だと言う事をのぞいて、原因だけを考えてみると、すべての原因は、戦争にあるのだ。戦争があるからこそ、広島、長崎のような、負わなくてもいい傷を負ってしまった所があるのだ。 広島への取材旅行で、平和の大切さ、そして何より戦争の残酷さ、無駄さ、核兵器の不要と原子力の恐ろしさが身に染みました。 今後の番組作りに、役立てていきたいです。 56年前の8月6日の原爆の恐ろしさは私が考えていたよりずっと残酷でした。広島の人々の仕事を友達を学校をそして家族をも原爆は奪っていきました。そして、今でも心に消えることのない傷を負わせました。 私は広島の取材を通して、戦争の悲惨さを知り、平和がどれほど貴重なものか知りました。もうこれ以上世界のどこでも戦争で苦しむ人が一人でもいてはいけないし、広島のように原爆で人の命やたくさんの大切なものを奪われることはあってはならないと思いました。 だからこの取材で見たこと聞いたことをぜったいに忘れず、同じまちがいを21世紀では繰り返さないようにしたいです。 市電を降りて、生まれて初めて実物の原爆ドームを見た時の感想は「小さい」でした。今まで写真や映像で見てきた原爆ドームが、私の頭の中で勝手に大きくなっていたのだと思います。実際には、ただの古い建物にしか見えませんでした。 しかし、歪んだ丸屋根の鉄柱が私に大きなショックを与えました。曲がった螺旋階段や崩れた壁が今まで感じたことのない感情と共に頭に焼き付きました。その時初めて56年前ここに原子爆弾が落ちたんだなと実感しました。 原爆ドームは決して小さくありませんでした。想像もつかないくらいにとても大きなものでした。私は今まで原爆についての話や番組を見たり聞いたりするたびに、戦争や平和について考えましたが、それはその時だけで終わっていました。しかし、今回広島を訪問中に考えたことは、今でも気がつけば考えています。 私はすべての人に広島を訪れてほしいと思いました。そのくらい広島は人類にとって大切な場所だと思います。そしてその重さを全人類で支えて行かなくてはいけないと思います。 広島で色々な行事に参加してみて、核のコワさ、意思主張の大切さを思い知らされた。 核によってヒバクしたのは人間だけなく植物や家畜もだということ。核実験によって海外の子供が被爆者となっていること。真っ黒なお弁当の話。知っていてもぴぴんに参加しなければ見ることもなかったと思うし、戦争も私の知らない過去の出来事としてしか頭に残らなかったと思う。 また、戦争経験者の人々にインタビューをとらせていただくと、大部分の人は自分の意思をしっかり主張してくれたこともとても印象的だった。戦争の悲惨さを知っているからこそ、自己主張をして真実をきちんと伝える、ということの大切さを知っているように思えた。 取材を通して、いままで私の中で遠い出来事であった戦争や核実験が確実にあるものだということ、そして未来にも影響を与えていくものだということが感じられた。番組を通して核のコワさや、今の被爆者の姿をしっかり伝えていきたいと思う。 一昨日、ある友達と電話をしたとき、冗談めかして言っていました。 「原爆の本とかテレビとか超グロいじゃん。だから俺ぜったいその時期NHKとか見ねぇ」 これだ。 私は友達のこの一言で確信しました。 私たちは、今まで原爆のうわっぺり、キレイな部分しか見ずに、つらかったろう、悲しかったろうと、したり顔で話していました。肝心な部分――そのむごさには、覆いをかけるように目をそらしていたんです。今回、広島を訪れて、原爆についての知識も殆どなかったことにも気付かされました。 私が一番強く感じているのは、ヒバクシャが亡くなってしまったら、今私たちが感じたような恐怖、正しい知識を誰が伝えるかという事です。否、伝えなければならないのは私たちです。世界各国にある三万発もの原水爆は、活躍を待っているんです。 そして、つらさだけではなく私たちが広島で感じたような、子供たちの平和への強い想い、意思、そして、今幸せであることやみんなの笑顔を、そういう面での“重み”も、広島・長崎だけでなく、全国そして世界に広められたらいいなぁ、と思います。 私は今広島に行って、平和の重さを全身で感じることができたと思う。今の日本は安定している経済とは言えないし、悲しい事件も多いけれど戦争中の日本に比べればずっと平和だ。多くの人は食物に困らないし、強制的に働かされる事もない。帰る家もあるし、毎日震えて生活しなくてもよいのだから。しかし一方で私は、本当の平和とは何か、今の日本は本当に平和なのかとも考えた。私の考える平和は、みんなで手をつないで未来に向かって歩いて行ける事だ。すると今の日本は戦時よりは平和というだけで本当の平和ではないと思う。それに世界には今もなお核兵器を作っている国がある。どこに埋められたか分からない地雷に脅えている人がいる。放射線による後遺症に苦しんでいる人がいる。こんな世界は少しも平和じゃない。この平和じゃない世界を平和にするのは私達一人一人の努力しかないと思う。そして一人一人が平和の重さについて考えることができれば良いと思う。 |