(Sorry, Japanese Only)

寺院 散歩 西
横須賀 西

           30 横須賀 (西部)   
           304 妙 忍    東へ 一覧 戻る
               みょうにん        秋谷 4313        日蓮宗
本尊 日蓮聖人奠定の大曼荼羅  行事 宗祖会式  建物 本堂 27坪(寛文3年建)、庫裏 36坪。
由緒 永正元年、当市長坂に建立。開基は関沢九郎右衛門、同伝左衛門で開山は静真院日長。寛文元年、現在地に移転、建立し現在に至る。長栄山と号し、現本堂は二九世、貞教院日祐の再建による。

           305 円 乗   東へ 一覧 戻る
               えんじょういん     秋谷 4387      真言宗大覚寺派
本尊 大日如来、正観世音菩薩
由緒 海上山 普門寺 円乗院と号し、創建は正慶元年(1332)である。開山は朝賢法印と言う。昭和55年、本堂完成。閻魔堂。稲荷社。親鸞上人像。旧暦の8月15日にへちま加持の祈祷が行はれる。
三浦観音・第27番札所、
御詠歌  観音を 尋ねてくるわ 後世の ためとやまいる 深きめぐみを
三浦不動尊・第22番札所、
御詠歌  海の上 法の光に 照されて 求誓の船に 乗るぞ嬉しさ
三浦地蔵尊・第21番札所
御詠歌  円なる 月の御船に 乗ばやと くまなく照らす み仏のかげ
閻魔堂には十王と奪衣婆を祀られ、10m余りの巨大な石碑は、弘法大師・千百年御遠忌記念の大師坐像。
      願い事託すは「ヘチマ」  横須賀・円乗院  東へ 一覧 戻る
        お札張り付け200本   珍しい加持祈とう
 ヘチマに願い事を託して無病息災を祈る「ヘチマ加持」が、中秋の名月の日の21日、横須賀市秋谷の真言宗円乗院(小寺孝照住職)で行われた。
 本堂には、名前と身体健全や家内安全、腰痛などの持病を書いたお札を張り付けたヘチマ約200本が、うずたかく積まれた。護摩がたかれ、ヘチマ加持(5回)が始まると、祈願に訪れた約200人の老若男女は合掌し祈りをあげた。
 市内から訪れた武石浩子さんは、「健康でいられることが一番です。感謝とお願いに今年も来ました。もう10年になります」と笑顔で話していた。この行事は、古来から四国地方に伝わる真言密教の秘法行事。同寺では90年ほど前から行われている。
 小寺住職は、「満月の夜の引き潮時に、ヘチマを海に流します。植物なので自然に返り、海も汚れませんし、不思議なことに今までヘチマが戻ってきたこともありません」と語っていた。県内ではここだけという珍しい行事だ。(横須賀支社・山田 信次) 平成14年9月22日 神奈川新聞

      ヘチマに願い込め  横須賀・円乗院
 中秋の名月の6日、横須賀市秋谷の円乗院で 「へちま加持」が行われた。
 へちま加持は病院などの災いや願い事をヘチマに託し、海へ流して祈る真言密教の秘法。80数年前から中秋の満月の日に行われてきた。県内ではここだけという珍しい行事だ。
 本堂内には家内安全や腰痛などの持病と名前を書き願い事が託す 「譲渡之證」が張り付けられたヘチマ約200本が積まれ、住職らによる祈願が始まると訪れた人たちは手を合わせ祈った。ヘチマは夜、引き潮の時間に合わせ海へ運び読経の中、流される。(花輪 久) 平成18年10月7日 神奈川新聞

      円乗院のヘチマ加持  横須賀市
 真言宗の古寺。円乗院に80年以上伝わる珍しい行事。病気などの悩みをヘチマに託し、加持して引き潮の海に流すもので、毎年中秋の名月の日に行われている。
 参詣者は近隣の檀家が栽培した青々したヘチマを購入(1本200〜300円ほど)。「絲瓜殿」と記された 「譲渡之証」に氏名と病名や願い事などを書いて巻き付け、護摩がたかれる本堂で祈願する。
 加持は5回実施(午前9時半・10時半・11時半、午後1時半・2時半)。「病気平癒や家内安全を願って毎年数百人が訪れます。行事を創始した先々代住職は、真言密教の祈とうや海に近い寺の立地、ヘチマの時季などさまざまなことに配慮して始めたのだと思います」と小寺孝照住職。
 ☆ 横須賀市秋谷 4387.逗子駅から長井方面行きバス、久留和海岸下車。駐車場あり。046・856・8301。 平成20年9月8日 神奈川新聞

          308 西 行 院
              せいぎょう         子安        浄土宗
由緒 山号は月慶山 西行院 安樂寺。開山は正蓮社覚誉魯秀と云う。

        309 乗越地蔵堂
御詠歌 ありがたや 地蔵菩薩が 岩船に のりてこえても 助け給えリ

          310 正 行   東へ 一覧 戻る
              しょうぎょう       秋谷 2-16-2       浄土宗
本尊 阿弥陀如来  行事 馬頭観音大祭(2月18日)十夜大会(11月3日)
境内 1185坪  建物 本堂 100坪(万治2年建)、庫裏 103坪、参篭堂、鐘楼堂。
由緒 明応7年の創立で、昔和田義盛が後妻、巴御前の遺髪を埋葬したと伝えられた地に、光明寺9世、長蓮社観誉祐祟が寺を建て、隠棲したのが開山。天正19年、朱印3石を賜わった。寛永十七年焼失したが、22世進誉春覚が中興。現在の堂宇はそのころ再建したものと思われる。創建以来、470余年の寺歴を持ち、法灯たえることなく現在に至る。紫雲山と号す。馬頭観音は三浦新観音・第7番札所
御詠歌  紫の 雲たなびくや 観世音 厚き恵みぞ 頼母子さかな
三浦地蔵尊・第20番札所
御詠歌  うすくこく 法の御庭に むらさきの 雲たなびきて 仰ぐみ仏
         三浦半島百景・・・無縁仏の秋谷寺  百景 戻る
 横須賀市秋谷の前田橋を渡り、大楠山ハイキング・コースに通じる谷戸を進むと、竹林に包まれたような寺が見えてくる。浄土宗・紫雲山 秋谷寺だ。
 石門を入ると、境内が広がり、周りはこけむした五輪塔や石仏が散在し、山寺の趣が漂っている。本堂に向かう石段の土手には数え切れないほどの、無縁仏がさまざまな表情で訪れる人に語りかけているようだ。
 折り重なった石仏の一つ一つには歴史が刻まれている。風雨に耐えきれず顔が消えたものや手を合わせほほ笑むもの。よく見ると童子や信女と刻まれた石仏が目につく。医療の乏しかった昔は出産や疫病などで亡くなることが多く、それらを供養するために作られたものであろう。魂は極楽浄土に行かれたのであろうか。山寺だけが知っている。 【あ し】JR・京急逗子駅からバス「前田橋」下車、徒歩10分。(横須賀総局・山田信次) 平成12年8月15日 神奈川新聞

        311 立石不動尊  百景 戻る
      三浦半島百景・・・立石不動の弁天
 名勝地。秋谷の立石の山側に立石不動尊(横須賀市秋谷)がある。三浦不動尊28ヵ所の21番札所になっている。
 境内の一番奥に、高さ約7mの滝が落ちている。滝不動を祭ったお堂の脇には、不動明王や庚申供養塔などが並ぶ中に、ひときわ奇妙な弁天さまが祭られている。顔は弁天さまで、体はとぐろを巻いた蛇といった2つのものが習合した石像だ。
 弁天さまは、本来インドの河川の女神だったが、後に音楽や弁舌の神となり、後世、福徳の神として信仰を集め、日本では七福神の一つとして祭られている。滝不動の脇にあるのも、水にゆかりがあるからかもしれない。
 境内には2ヵ所から、水がこんこんとわき出ている。近所の婦人が、「この水でお茶を入れるとおいしいんですよ」と、くんでいた。【あ し】JR逗子駅より京急バス大楠芦名口方面行きで立石下車、徒歩3分。(横須賀支社・山田信次) 平成14年7月6日 神奈川新聞

       312 帯解子安地蔵
御詠歌 女の身を わけて情を かけ帯の むすぶちかひは さんのひもとく

         314 南 光   東へ 一覧 戻る
             なんこう       芦名 1-16-29         浄土宗
本尊 阿弥陀三尊  事業 南光院人事相談所  境内 200坪
建物 本堂 45坪(正徳年間建)、庫裏 35坪、書院 23坪(昭和27年建)。
 明応八年の創立と伝う。正徳年間、火災にかかり堂宇と共に、寺宝及び過去帳を焼失したため詳しいことは不明だが、再建後、法灯を継承し現在に至る。
正観音は三浦新観音・第九番札所
御詠歌  海の岸 岩打つ波の 観世音 慈悲の姿も 光りなるらん

         315 安 穏
             あんおん      芦名 2-13-12       日蓮宗
由緒 長皇山と号し、芦名・鬼子母神である。
        浄行菩薩
 浄行菩薩は如来の使いとして、一切の煩悩を滅除し、心を浄めることを誓願し、国土と人心を浄めることを示しています。
 足の悪い人は足をタワシで洗い、肩の痛い人は肩を洗います。眼の悪い人は眼を、頭痛で苦しむ人は頭を洗うのです。 私達に「技苦与楽」を願って下さるのです。

        316 浄 楽   東へ 一覧 戻る
            じょうらく      芦名 2-30-5          浄土宗
本尊 阿弥陀三尊(文治年間、運慶作重文)  行事 前島蜜翁追悼墓前祭(4月)
建物 本堂六四坪、 寺宝 不動明王及び毘沙門天(各運慶作重文)他多数。
由緒 金剛山 勝長寿院 大御堂と号す。鎌倉光明寺末で、同寺二世白旗寂恵が中興開山。文治元年、源頼朝が父義朝の菩提を祈るため創建し、御堂勝長寿院と改称。建永元年、台風により破損し現在地に移転、三浦七阿弥陀、七不動、四毘沙門の霊場となる。寛文3年、再建し現在に至る。日本郵便創始者・前島蜜翁夫妻の墓がある。明治四十年建立・希典書の忠魂碑、陸軍大将・小磯國昭書の忠霊塔が並立している。収蔵庫の前には水原秋桜子の句碑。開放日・3月3日・10月19日横須賀風物百選。三浦地蔵尊・第19番札所
御詠歌  みほとけの 玉の光に 大御堂 隅なきまでに 照さるるかな
三浦不動尊・第12番札所
御詠歌  人はよし 芦名といへど 世渡りの 浄くば楽し 我れ守らなむ
正観音は三浦新観音・第8番札所
御詠歌  浄らはく 楽む御寺 庭の面 松風高く ちりの迹なし 
三浦毘沙門天・第6番札所
御詠歌  苦を救ひ 楽をは与ふ 御寺にて 只ひたすらに 参れ世の人 
         国宝公開に800人  戻る
          横須賀・浄楽寺  阿弥陀三尊像など
 横須賀市芦名の浄楽寺で3日、国指定の重要文化財となっている阿弥陀三尊像と不動明王像、毘沙門天像が公開され、国宝を一目見ようと、地元や全国から約800人が訪れ拝観した。
 三尊像は鎌倉時代の一流の仏師、運慶の作といわれる。運慶は1186年(文治2年)に北条時政のために願成就院(現在の静岡県伊豆韮山)の諸仏像を造り、3年後には、義盛の依頼によって、これらの仏像を制作したという。
 浄楽寺は鎌倉幕府の侍所別当・和田義盛の建立になる七阿弥陀の一つで、鎌倉後期に活躍した浄土宗の僧寂恵が中興した寺とされる。県内では、運慶作の仏像が存在するのはここだけで、貴重な存在となっており、毎年3月3日と10月19日の年2回、特別公開されている。(横須賀支社・山田 信次) 平成14年3月4日 神奈川新聞

         319 専福  東へ 一覧 戻る
             せんぷく       佐島 2-7-1     浄土真宗・本願寺派
本尊 阿弥陀如来
由緒 1500年頃の創建と伝えられ、明治24年の集落の大火で全焼。昭和 51年コンクリート造りの現堂宇完成。海照山と号す。
県道の南側にある観音堂は馬骨坂にあった、行基伝説の残る、観妙寺を天文19年(1550)移したもの。十一面観世音菩薩は室町時代の作で美術的にも高い評価がある。三浦観音・第28番札所である。
御詠歌  観音へ 参りて西を 眺むれば 冨士の高嶺に 雪はふりつつ

         320 最 岸  東へ 一覧 戻る
             さいがん        佐島 2-14-1     浄土真宗(本願寺派)
本尊 阿弥陀如来  境内 160坪  建物 本堂 25坪、庫裏 10坪。
由緒 応永8年、開基勧専坊兼西律師(佐々木道人)によって創立。師は常に天満大自在天神を守護神として、信仰し佐島南端の小島に守護神を安置して、当寺を建立。この時より、この小島を人呼んで天神ヶ島と称した。墓域六十坪。海嶋山と号し、水子供養堂がある。

         321 福 本
             ふくほん       佐島 2-15-13        浄土宗
本尊 阿弥陀如来(三浦大介後生仏)  事業 婦人会子供会老人クラブ
境内 300坪  建物 本堂 40坪、庫裏 43坪、鐘堂。 
由緒 明応2年の創立と伝う。開山は方譽岸立で開基は清涼道心。檀徒の8割が福本姓なので、福本一族の氏寺として創立したものと思われる。明治25年、過去帳及び古記録を焼失し詳細は不明。明治31年再建。大震災で崩壊・昭和五年再建、昭和31年改修。昭和11年再建の鐘堂に文学博士・塩谷 温氏の銘文を刻すがある。降鏡山と号す。
薬師如来・三浦16番札所、不動明王・三浦21番札所、
御詠歌  清らなる 佐島の海の 磯づたい 御威光したひて 行くぞ楽しさ 

         322 無 量   東へ 一覧 戻る
             むりょう        長坂 4-21-18       浄土宗
本尊 阿弥陀三尊  境内 382坪  寺宝 両大師観音菩薩不動尊 他2体
建物 本堂 42坪(昭和41年修理)、庫裏、門、廊下  (各昭和35年建)。  
由緒 鎌倉無量ヶ谷戸より、現在地に移したと伝えられ、光明寺末。開基は和田左衛門尉義盛と伝う。中興は元誉寿道。藁葺きの山門が風情を添える。間宮氏の墓が残されている。金剛山 長寿院と号す。聖観音菩薩像は運慶作とも伝えられ、三浦観音・第29番札所である。
御詠歌  聞きしより 短き坂を 長坂と 無量寺に 参る観音
      錦島の墓
 この墓は、江戸・錦島部屋四代目の親方のもので、長井村の出身で明治元年、他界した。
 三浦半島には、三浦相撲と呼ばれる素人相撲があり、各地の神社の祭礼には、奉納相撲が行なわれていた。長坂・祖母神社の祭礼にも、9月21日の奉納相撲が方々から大勢集まり、盛んに行なわれていた。この開催にお世話になったようである。
 この墓は再々移転し、祖母神社敷地内にあったが、道路拡幅のため、平成5年、ここに移転した。
       三浦半島百景・・・無量寺  百景 戻る
 横須賀・小田和湾沿いに佐島、内陸部に長坂が広がる。穏やかな丘陵地帯が入り組み、のどかな里の雰囲気を残している。その谷戸に、今では珍しいカヤぶきの山門を構え、古刹の面影を残す浄土宗無量寺がある。
 同寺は、文治5年(1187)、和田義盛が祈願のために建立した。三浦七阿弥陀の3番目で、運慶作の阿弥陀如来が祭られていた。しかし、寛文9年(1669)、不慮の火災で全焼してしまった。その後、第六世住職・南慶上人が再建し、その時に作られた阿弥陀如来が、現在祭られている。また、三浦観音29番霊場となっている。
 昔、鎌倉・無量寺ケ谷にこの寺があったそうだが、なぜこの地に移ったのかは定かではい。が、和田義盛に敗れた義盛の領地だったからという推理もできる。 【メ モ】 JR衣笠駅より京急バス逗子駅行きで、佐島入り口、徒歩8分。(横須賀支社・)平成13年8月18日 神奈川新聞

         323 妙 印 寺  東へ 一覧 戻る
      色鮮やか つるしびな  横須賀で作品展
 色彩豊かなひな飾りがくくりつけられた 「つるしびな」の作品展が、横須賀市長坂の妙印寺で開かれている。愛好家グループ 「結の会」のメンバーが子供や孫の幸せを祈りながら仕上げた力作ばかり。春らしい雰囲気を漂わせ、訪れた人を和ませている。3月5日まで。
 つるしびなは、静岡県稲取地区などに古くから伝わる工芸品。花や鳥などの縁起物をかたどったひな飾りを糸でつり下げ、子供たちの健やかな成長を願う。
 同会のメンバーが使わなくなった着物などを持ち寄り、ひな飾りを1つずつ手作り。会場には1500個以上がつるされている。中には男児向けのこいのぼりなどもあり、メンバーがサクラをモチーフに共同制作した 「傘福」と呼ばれる伝統工芸も展示されている。
 同会の作品展は、地元では1昨年に続き2回目。三谷孝子代表は 「みんな穏やかな心地で一針一針縫い上げており、作り手の気持ちを感じてほしい」と話している。午前10時〜午後5時。問い合わせは、三谷代表 090・8083・5188。(田中 大樹)平成20年2月27日 神奈川新聞

         325 正 蓮 寺  東へ 一覧 戻る
             しょうれん        荻野 11-5          日蓮宗
由緒 山号は荻野山。天正11年(1583)の創建、開基・開山は日唱上人。
和田義盛の子・朝比奈三郎の墓と伝えられ、境内には朝比奈堂がある。正蓮寺

          356 持 経   東へ 一覧 戻る
              じきょう    (武山不動院)    武 1-3040    浄土宗
本尊 不動明王(鎌倉期万務作)  行事 初不動(1月28日)  境内 979坪
建物 本堂 21坪、庫裏 68坪、鐘楼堂。
由緒 竜塚山と号す。後小松天皇の応永4年に創建。以来法灯を継承し現在に至る。
横須賀風物百選。三浦半島七不動の随一で、札所霊場、第1番である。
御詠歌  武山の 松吹く風は 禍ひを 払ふ誓ひと 唄ふ尊さ
大黒屋儀兵衛が願主の石仏が本堂・左手にある。
   武山子安地蔵尊
 お地蔵さまは、左手に宝珠・右手に錫杖を持ち、衆生を救い、慈愛の心の大切さを教えられている、菩薩さまであります。賽の川原で童子の救い主として、有名であります。
 この子安地蔵尊は子授かり・安産、また幼くして他界された、霊の菩提をとむらい、子供のすこやかなる成長を願って、建立されたものであります。
   身代り不動尊・筆塚の由来
 江戸末期・文化の頃、豪雨の中、本堂脇のオオキの大木に落雷、大木は真二つにさけて焼け焦げとなりました。御本尊・御本堂も無事なるを見た人々は、身代りと唱えました。その大木・年代を経て、芽を吹き、青葉、枝をささえ、その旺盛なる、力に感動し、参拝の有信者が手を合せ、身代り不動尊を唱え、これをまつりました。
*人はみな、筆により智を幸を知る。その筆に感謝し成長することを念じ、ここに筆塚を信者の賛同・御寄付を得て、建立されました。

      無病息災願い参拝客の人の波 武山で初不動
 三浦半島の中央に位置する標高200mの武山山頂にある武山不動院で28日、初不動が行われ、今年1年の無病息災を願う参拝客らでにぎわった。本堂前には参拝客の長い列ができたほか、約50の露店が軒を連ねた山頂広場などは家族連れらでごった返した。
 漁師らが漁場や港の方向を知る目印としていた武山の不動院は航海安全の浪切不動としても知られ、漁業関係者からの信仰もあつい。大漁祈願の意味で釣りざおに見立てたとされる名物のふ菓子がつり下げられたササを持ち帰る参拝客の姿も。
 好天に恵まれ、山頂付近からは東京湾や相模湾に加え、雪をかぶった富士山も顔を見せ、約40分かけて登頂した参拝客らを喜ばせていた。(武田 博音) 平成16年1月29日 神奈川新聞

      参拝こそ御利益  武山不動院  急坂上り無病息災願う
 初不動の28日、「武山のお不動さん」で知られる横須賀市武の武山不動院(龍塚山持経寺)で本尊のご開帳が行われ、無病息災を願う大勢の参拝客でにぎわった。(春名 義弘)
 応永4年(1397)、奈良・東大寺の沙門、萬務大阿闍利によって創建されたという。高さ1.2mの本尊の不動明王(木像)は、特に海上安全、豊漁に御利益があるとされ、漁師からの信仰が厚い。
 最寄りのバス停から徒歩で40分ほどかかる武山山頂(202m)に続く参道は、お年寄りにとっては結構きつい急坂。「今年もお参りできた。それこそが御利益」という会話も聞かれた。
 途中には露店やフリーマーケットが並び、家族連れなどで終日行列ができた。1番人気の土産はササ竹に付いた麩菓子。ササを釣りざお、麩菓子を魚に見立てたといわれ、麩と不動尊の 「ふ」を掛けた縁起物だ。参拝を終えた人たちは、ササ竹を肩にかけ、東京湾や相模湾を眺めながら、サービスの甘酒で温まっていた。 平成19年1月29日 神奈川新聞

      参拝客でにぎわい  武山不動院  「初不動」
 横須賀市の武山山頂にある 「龍塚山持経寺 武山不動院」(同市武)で28日、年明け最初の縁日 「初不動」が行われ、大勢の参拝客らでにぎわった。
 武山は江戸時代、船が通過する際の目印とされ、漁師たちは山の見える位置によって、漁場を確認した。武山不動院に安置されている不動尊は航海安全の 「浪切不動」とも呼ばれ、とりわけ漁業関係者からあつく信仰されてきたという。
 境内はは甘酒が振る舞わたほか、さまざまな屋台が並び、名物の麩菓子をつるしたササも人を集めていた。参拝のための長い行列に並んでいた60代のの女性は 「初不動はにぎやかな雰囲気で毎年、楽しみにしています」と話していた。(岡本 晶子)平成21年1月29日 神奈川新聞

      住民の善意で本堂修繕  横須賀・武山不動院  71年ぶり
 横須賀市の武山山頂にある武山不動院本堂の修復工事が完了、10日に落慶法要を行う。71年ぶりの大修理で、総額1200万円を投じた。当日は同時に修理した本尊不動明王仏像の特別開帳も行う。
 武山不動院本堂は江戸時代末期の建立といわれ、回廊部分などを除き広さ約60u。最近では1939年(昭和14年)に大修理をした。
 その後、漏水による腐食が激しくなったため2009年9月から天井や床、回廊などの修復工事を進めてきた。工事費用はすべて地元住民や信者からの寄付で賄った。
 本尊不動明王仏像は高さ120cm。1397年(応永4年)に東大寺の僧、萬務阿闇梨(まんむあじゃり)の作と伝えられている。虫食いなどの痛みが激しいため修理した。
 畑尾光美住職代行は 「28日には初不動がる。皆さんの善意できれいになった本堂をぜひ見てほしい」と話している。(佐藤 浩幸)平成22年13日 神奈川新聞

      笹竹に願い  横須賀・武山で初不動 
 横須賀市武の武山山頂にある武山不動院で28日、初不動が行われ、多くの参拝客らでにぎわった。
 標高200mの武山は江戸時代、通過する船の目印とされ、地元の漁師たちは山の見える位置によって方向を見定め、漁場の位置を確認したといわれる。武山不動院に安置されている不動尊は 「浪切不動」とも呼ばれ、海上安全、豊漁に御利益があるとされ、特に漁師からの信仰があつかったという。
 武山山頂に続く急坂の参道を上り終わった参拝客らに境内で甘酒が振る舞われ、さまざまな屋台も大勢の客でにぎわった。特に名物のふ菓子をつるした笹竹を求める客が目立った。近所に住む弾性は「御利益のため子どものころから欠かさず参拝している」と話していた。(服部 エレン) 平成22年1月29日 神奈川新聞

          357 東 漸 寺  東へ 一覧 戻る
              とうぜん         武 2-12-13         浄土宗
本尊 阿弥陀三尊
由緒 日松得山 長島院 東漸寺と号す。開山は尊誉念阿、開基は長島肥後守。肥後守室の法名を東漸院信誉仰秋というので、その菩提を弔うために建てたのだろうか。客仏の日金地蔵は明治初期に鎌倉・日金山松源寺から移つされた。鎌倉地蔵・十九番札所。梵鐘。本堂の裏手には、願海上人の墓と行実碑がある。

         358 法 道 寺  東へ 一覧 戻る
             ほうどう            須軽谷 1148       日蓮宗
   法華経を以て國土を祷らは上御一人より下万民に至
   るまで悉く悦び栄え給ふべき鎮護國家の大白法なり
   法華経の行者の祷りは濕れる樹より火を出し
   乾ける土より水をくるが如く利生もあろべきなり
     冷水を浴びて 無病息災祈願 横須賀・須軽谷・法道寺で荒行
 百日間の初行を終えた修行僧が冷水をかぶり家内安全や無病息災などを祈る水行が19日、横須賀市須軽谷の日蓮宗・法道寺(島田智肇住職)で行われた。この日、水行に臨んだのは、昨年11月から千葉県中山の法華経寺にこもり、荒行してきた同寺の島田朗成上人ら9人。
 一行は白い行者姿で信徒がたたく太鼓に送られて、須軽谷の里を練り歩き、寺に到着後、本堂前の境内で午後1時から水行を始めた。修行僧たちは経文を唱えながら、手おけでかい出した水を勢いよくかぶった。おそろいの法被を着た檀家や信徒ら約50人は手を合わせながら、荒々しい水行を見守っていた。(山田 信次) 平成14年2月20日 神奈川新聞

       359 庚 申 堂  百景 戻る
      三浦半島百景・・・庚申堂
 県道武・上宮田線の横須賀と三浦の市境に、峠がある。三浦側の庚申堂バス停の脇に、庚申塔や馬頭観音などが10数基並んでいる。古いものでは享保や寛政と江戸時代で、明治時代のものもある。
 庚申とは、庚申・かのえさるの夜に仏教の家では、帝釈天および青面金剛(しようめんこんごう)を、神道では、猿田彦を祭って、寝ないで徹夜する習俗。その夜眠ると、人身中にいる三戸虫(さんしちゅう)が罪を天の神に告げるとも、命を縮めるともいわれる。中国から伝わり、江戸時代に盛んに信仰されたという。
 近くに住む古老は、「戦前の子供のころ、庚申講があり、家にこもっていたことを、うろ覚えに覚えているよ。戦後、講は廃れてしまった。昔はお堂があったかもしれないが、記憶にないね」と話した。(あ し)=京急横須賀駅か衣笠十字路から京急バス三浦海岸行きで庚申堂下車、徒歩1分。(横須賀支社・山田 信次) 平成14年5月25日 神奈川新聞

         360 正 住   東へ 一覧 戻る
             じょうじゅう        林 5-1-5          浄土宗
本尊 定印観音、阿弥陀如来、閻魔王。
足利八代将軍義政の開基と伝わる格式の高い寺で、明治中期にこの地に移ってきた。
禅林山 佛神院と号し、三浦観音・第30番札所である。
御詠歌  参るより 頼みをかけし 観世音 おそしはやしは 心心に
三浦地蔵尊・第18番札所
御詠歌  ときはなる 松の林に 御光を とめて闇路を 照す御仏
三浦不動尊・第11番札所
御詠歌  影高き 法の林を 仰ぎなば 身に幸福ひらく 露や宿らん

          364 不 断  東へ 一覧 戻る
              ふだん         長井 5-1-1          浄土宗
本尊 阿弥陀如来  行事 十夜大法要(10月25・26日)
建物 本堂 72坪、庫裏 40坪。
由緒 寛元四年、鎌倉執権、五代北条経時が大壇主となり、鎌倉長谷村、長楽山に創立。文禄元年(1592)、存故によって現在地に移転した。開基は北条経時で。三王山 安樂院と号す。欄間を飾る見事な彫刻が残る。梵鐘
 伝 北条経時の宝篋印塔
  不断寺の開基と伝えられる鎌倉幕府四代執権・北条経時の供養塔
  文化十四年(1817)の建立   平成16年 西地域文化振興懇話会
正観音は三浦新観音・第11番札所
御詠歌  村雲の かヽる浮世の たへずとも 弥陀の光りぞ 照し晴れゆく
     「お練り行列」盛大に  横須賀・不断寺  昔ながらの晋山式で
 横須賀市長井の浄土宗不断寺で、住職の就任を祝う晋山(しんざん)式がこのほど行われ、雅楽奏者や稚児など約80人が寺までの道を練り歩いた。都市化により伝統行事が失われていく中、盛大な「お練り行列」が見られるのは三浦半島でも珍しくなったという。
 行列は新しい住職になった杉浦定徳さんを中心に、雅楽奏者がにぎやかな演奏を披露。かわいらしい装束に身を包んだ稚児行列なども続き、中宿(なかやど)と呼ばれる休息地から同寺まで約30分かけてゆっくりと練り歩いた。
 晋山式は外部から迎えた新しい住職を地域にお披露目する機会。このため世襲する場合は行われないことが多い。同寺でも前回の記録は残っていないという。めったに見られない昔ながらの風習を見ようと、檀家のほか近所の住民らも珍しそうに行列を見送った。同寺は執権・北条経時の開基で鎌倉・長谷に建立。安土桃山時代に現在地に移ったと伝えられている。大本山は光明寺(鎌倉)。(鈴木 達也) 平成14年10月9日 神奈川新聞

         365 長 徳   東へ 一覧 戻る
             ちょうとく       長井 5-20-19    浄土真宗(本願寺派)
本尊 阿弥陀如来像  境内 1300坪  建物 本堂 73坪、庫裏 53坪、山門。
寺宝 親鸞蓮如画像、聖徳太子七高僧連座、各画像、親鸞絵伝。
由緒 行基の創建。のち天台宗に改め、その古跡は今も残っている。その後、延徳元年現在の地より東北に当たる地に移転、了念が本派に改宗し、のち了念を開基とした。寛永14年現今の地に移転。中島山 井華院と号す。ポックリ地蔵尊。梵鐘(昭和31年)。聖徳皇太子・千三百年記念碑(大正11年8月建立)
三浦聖徳太子・第5番札所
御詠歌  くむ人の こゝろこゝろに うつるらん 長井の水に 御仏の顔

         366 ぽっくり地蔵
    三浦半島百景・・・ぽっくり地蔵  一覧 百景 戻る
 横須賀・長井の丘陵地に、ぽっくりさまと呼ばれる地蔵尊が祭られている。長徳寺裏の墓地の右端に小さな地蔵堂が建っている。その昔、この辺りに火葬場があり、そこに祭られていた阿弥陀さまが、いつの間にか村人たちの間で、ぽっくり地蔵と呼ばれるようになったという。
 中島量雄住職は、「昔から年をとると誰でも長患いせず、ぽっくり往生したいという願望があるようです。地蔵さまはそんな願いをかなえてくれるという評判が、口コミで広がったのでしょうね」と話した。
 20年ほど前に地蔵堂が火事に遭い、立て直した際に、傷んだ頭部を据え替えたという。新しい花が手向けられ、きれいな着物を着たお地蔵さまの顔は多くの参拝者が願いを込めてなでられたのであろうか、黒光りしている。
 ここにも土俗信仰の深さを見た。(あ し)=京急・三崎口駅から京急バス荒崎行きで長井小学校下車、徒歩7分。(横須賀支社・山田 信次) 平成14年8月15日 神奈川新聞

         369 長 慶   東へ 一覧 
             ちょうけい       長井 6-28-7         浄土宗
本尊 正観世音菩薩
由緒 鈴木山と号し、鈴木家の寺である。建久3年(1192)に僧・良馨が開山。開基は鈴木家長で、家長は、源義経の家臣・鈴木重家の長子、建久年間この地に移住する。境内には芭蕉の句碑が有る。また、三浦三十三観音霊場の開札は、江戸時代中期の鈴木家の徳右衛門が、開設したとも言われている。鈴木家・23代目の鈴木呉雪(宝暦12年・1762)は俳句に造詣が深く「郭公 啼くや東の 薄明り」「かりがねの 乾ける木地に 仏かな」を残した。
弘法大師の作とも伝えられる正観音は、三浦観音・第31番札所である。
御詠歌  命こそ ながいみじかき 浮世かな 来世を頼む 南無観世音


進む  戻る  トップページへ  メール送付

Copyright(C) 1998 浅田 弘光. All Rights Reserved


  更新日  1998/12/15