パチプロ(プータロー)のできるまで(1999.12.01記)


ごく普通の中流(下流?)サラリーマン家庭に生まれ育った私が、何故に
600万円超もの借金を抱え
しかもパチプロ(プー)などという社会的に認められにくい位置にハマリ込んでしまったのか。
その生産過程を書き記してみました・・・・。
完全ノンフィクションでどうぞ。


昭和44年 北海道の空知支庁あたりに出現。
〜4歳 覚えてない。
〜6歳 幼稚園の入園式直前に父親の転勤が決まり、仕方なく転勤先の地で新たな幼稚園を探すも定員オーバーで入園できず。早くもプータロー状態
小学校 入学時のクラスは1年松組。松竹梅桜桃・・・組という珍しい小学校だった。
中学校 生徒会長をやっていた。でも結構いじめられていた(TεT)。
高校 バレーボール部に入るも、練習がつらくてすぐに辞める。この頃からすでに私の「何をやっても長続きしない性格」が表面化していた。ここでもたまにいじめにあう(TεT)。
浪人 誰にもいじめられることもなく楽しい1年間だった。
大学 元オリックス・現よしもと長谷川滋利投手の3年後輩(学部も同じ)にあたる。山歩きとかバードウォッチングをするサークルに所属。3回生の秋からMさんとの交際がスタート。こんな男でも付き合ってくれる女の子がいるんだ・・・と涙。
平成5年
    4月
D証券会社入社。地方勤務を希望するも、配属先は霞ヶ関のお隣り日比谷支店。銀座・新橋・有楽町などを飛び込みで営業活動。意外に嫌ではなかった。しかしノルマがきつく、損失補填で自腹を切る場面もあった。借金生活スタート。
平成7年
    4月
Mさんとの遠距離恋愛が経済的に負担になってきたことと、営業成績が結構良かった時だったので、今なら辞めてもカッコ悪くないなと思い、D証券を退社

このあたりから人生が狂い始める・・・・

平成7年
    5月
Mさんの家に近い支店に必ず勤務できるというので、太陽熱温水器販売のA社に入社。しかしそこは某商工ローンと同じく超ワンマン社長・支店長による暴力・首切りが横行する単なる悪質な訪問販売の会社であった。先輩から後輩から次々に会社を辞めていくのでほんの1年間勤めただけで、私の支店内での地位は上から数えたほうが早いという異常事態に。また、友人の結婚式に出席するために「今日は休ませて下さい」と支店長に言ったところ(と、いうか本当はその日は会社が休みの日なのに夜中の2時頃(!)急に出勤が決まったのだった)、「行くんなら会社を辞めてから行け」と厳しい言葉が・・・。その友人に欠席の連絡をするヒマも無く、サイフ・携帯電話を没収され、電話代20円だけを持たされて営業現場へ放り出され、夜の10時過ぎに死ぬ思いでオーダーを1件獲得し、会社に電話して車で迎えに来てもらった・・・。などという信じ難いエピソードは枚挙にいとまが無い。
平成8年
    7月
証券会社勤務時代に会得したインチキくさいセールストークを駆使し、A社での悪質な訪問販売でもそこそこの成績であったが、それでもA社に在籍した1年3ヶ月の間に私はビンタ1往復、蹴り2発、頭部へのパンチ2発、ボディーブロー1発をくらった。肋骨にヒビが入った先輩もいる。世の中の常識とはかけ離れた世界に限界を感じ、夜中の3時頃こっそり会社の寮を抜け出して逃亡した。正式に辞表を出して辞めるなどということはあり得ない会社であった。商工ローンの会社で、成績の悪い者が本社に集められて土下座うんぬん・・・・・・というニュースがあったが、そんなもの私にとっては何ら驚くようなことでは無い。
平成8年
    8月
A社の元上司を頼って東海地方にある住宅リフォームの訪問販売会社へ入社。綺麗な刺青が入った人や、銃刀法違反の前科のある人がいるほのぼのした雰囲気の会社だった。「○○刑務所のキンピラゴボウは美味しかったで〜」とか私に言われても何とお答えすれば良いのやら・・・。すぐ辞めた
平成8年
   11月
再びA社の元上司を頼って屋根瓦の補修をするT社へ入社。刺青の入った人は居なかったが、社長がバカラ賭博にハマっていた為、イヤな予感が・・・。
平成9年
    2月
営業成績が良かったごほうびとして、韓国の済洲島へ社長と私と他1名合計3名で旅行。目的はもちろんバカラ。私が社長に「ボク、バカラやるお金なんてありませんよ」と言うと「おまえは1円もお金の心配をしなくていい。現地でおまえにお金を渡すからオレと一緒にバカラに参加するだけでいいんだよ。あたまかずが必要なんだ。」とのこと。100万円を渡され、社長と一緒にKALホテルのバカラに2日間参加した。私は40万円ほど負け、社長はなんと700万円も負けたのだった。社長は相当機嫌が悪くなり、帰りの飛行機の中で私に対し「オマエのあの賭けかたはなんだ!あそこでプレイヤーに賭けるヤツがあるか!」などと名古屋空港に着くまで延々と社長独自のバカラ理論を展開した。確率統計の考え方を無視しためちゃくちゃな理論だった。700万円も負けたヤツから理不尽な口撃を受け、私は気がおかしくなりそうになった。
平成9年
    3月
給料明細を見ると、何の予告もなしに20万円差し引かれていた。専務に理由を聞きに行くと「オマエ韓国で随分と豪遊してきたらしいな・・・。」と来た。カクカクシカジカと事情を説明したが、聞き入れてもらえなかった。その夜号泣した。
平成9年
    7月
この半年間ほど、給料の遅配が日常化していた。遅れても、全額支払われていればまだ良いのだが、基本給以外の部分がかなり未払いになっていた。私の場合で7月20日(給料日)の時点でその金額が80万円に達していた。その7月20日に全社員に対して1枚の文書が配られた。内容は給料遅配に対する言い訳と、今会社を辞めたらこれまでの給料未払い分はお支払いいたしませんというものだった。今辞めたら80万円は渡しませんよ、辞めずに一生懸命会社の為に働けばいつかはきっとお支払いいたします、ということである。かなり資金繰りに困っているようだ。納得したらその紙に署名捺印して提出せよという強引なものであった為、社長の意に反し、私を含めて3分の2の社員が一斉に辞めてしまった。会社はすぐに倒産(解散)した。
平成9年
    8月
職を失い、住む家も無くなった私はコンビニで買ったパチンコ攻略雑誌を片手に多額の借金を抱えたままパチプロ(プータロー)生活に突入。しかも寝泊りするのは車の中か、健康ランドという不安でいっぱいの船出であった・・・。
交際中のMさんにはしばらくの間このことはナイショ

というわけで、不況下の日本にパチプロ(プータロー)がまた1人誕生してしまった・・・・・・・・・・・・。

後日談

岐阜市の労働基準監督所に給料未払いの件に関して申し立てをしたが、基本給以外の部分に関しては全く補償されないきまりになっているそうで、どうにもならなかった。
岐阜市の職業安定所に失業保険の給付を申請に行ったら、住む家が無い人間に対しては失業保険の給付はできませんとのこと。私はきちんと岐阜に住民票を置いてはいたのだが、バカ正直に「会社が倒産して、寮が無くなり、実際にはその住民票のある所には住んでいない。無職なのでアパートも貸してくれないし、借りる為のお金も無い。」と言ってしまったために担当氏の顔色が急に変わり、超お役所口調で返ってきた言葉が「この申請はお受けできません。定住すべき家を見つけてそこに住民票を置き、もしその家が岐阜市内であれば、再度ここに申請しに来てください。」

ん〜〜(涙目)
ん〜〜〜〜〜〜(ここ数年間の出来事も頭に浮かんできた)

ぷちっ

それができれば苦労しねえよーーーっ!(涙混じりの絶叫)

自分の身は自分で守る。どこにも属さず、誰からも束縛されずに生きる。
私は借金を全て返済し、公明正大に所得税を納めることができるだけの根拠を
持ったまっとうな職業に就くまでの間、日本国民であることを放棄した。


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