| PHOTO・六角橋から憲法と平和を考える |
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2011年10月17日 熊野神社の公孫樹の木 東神奈川にある熊野神社は、横浜大空襲で焼失しましたが、そのとき一緒に焼けた公孫樹の木は、その後再生し現在も健在です。ただ、幹の3分の1ほどが焼けて空洞になっています。 |
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2011年10月01日 熊野神社(東神奈川)・大空襲で焼けた公孫樹が再生 東神奈川駅東口を出ると、京浜急行の仲木戸駅があります。駅前の道をまっすぐ行くと、国道15号線(第一京浜)の交差点に出ますが、その手前の路地を右に曲がりしばらく行くと「熊野神社」があります。 この辺りも、横浜大空襲で焼けましたが、熊野神社には、空襲で焼けたあと再生したといわれる公孫樹の木があります。 |
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2011年09月08日 為祈念国威宣揚皇軍武運長久・笠䅣稲荷神社 笠䅣稲荷神社の境内の裏側(京急の引込み線側)の入口の左右に台座に乗った狛犬ならぬ狛狐(?)があります。入口から見て左側の台座の写真です。「為祈念 国威宣揚 皇軍武運長久」と刻まれています。ここ笠䅣稲荷神社は横浜大空襲で焼失した神社ですが、1945年5月29日に至る歴史があったことも忘れてはならないと思います。 |
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2011年09月07日 皇軍武運長久・笠䅣稲荷神社 笠䅣稲荷神社の鳥居をくぐり、境内に入ると正面に社殿が見えます。その右側に回ると、すぐに神社の裏側に出ることができますが、その裏口の両側に狛犬ならぬ石造りの狛狐(?)がいます。その狐の台座に刻まれている文字が「為祈念 国威宣揚 皇軍武運長久」。 |
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2011年09月03日 日露戦役紀念碑・笠䅣稲荷神社 笠䅣稲荷神社の境内に入った右側にあって、眼を引くのがこの「記念碑」(石碑には「紀念碑」と刻まれています)。一番上には砲弾のようなものが乗せられています。青木橋から東神奈川、神奈川新町にかけて、この辺りは、神社、仏閣の多いところですが、横浜大空襲で被災しているだけでなく、それ以前の日清戦争、日露戦争、日中戦争などの戦没者を「慰霊」「顕彰」する石碑等が眼を引きます。 |
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2011年09月02日 教育勅語煥発四十年記念・笠䅣稲荷神社 国道15号の笠䅣稲荷神社の入口標柱の裏側の写真です。「教育勅語煥発四十年記念」の文字が見えます。その下に「在郷軍人 新町分…」と読める文字が刻まれており、在郷軍人会が建立したようです。 |
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2011年09月02日 第一京浜沿いに建つ「笠䅣稲荷神社」入口の標柱 京浜急行神奈川新町駅を降り、改札を左に曲がると、第一京浜(国道15号線)の信号があります。その信号を右に曲がると、右手に良泉寺というお寺があり、その角に建っているのが、この「笠䅣稲荷神社」の標柱です。裏側を見ると、「教育勅語煥発四十年記念」の文字が見えます。教育勅語は1890年(明治23年)に出されているので、1930年に建てられたもの、ということになります。時代は、日本軍が中国での軍事行動をエスカレートさせ、山東出兵(1927−28年)、張作霖爆殺事件(1928年6月4日)から、1931年9月18日の柳条湖事件(満州事変)前夜という時代でした。 |
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2011年08月30日 笠䅣稲荷神社(神奈川新町) 京浜急行の仲木戸から神奈川新町まで線路沿いに歩くと、神奈川新町のちょっと手前にこんもりとした森が見えて来ます。京急の電車からも見えます。写真は、第一京浜(国道15号)側から見たものです。京急のガードをくぐると神社の鳥居があります。この神社も横浜大空襲で焼失したそうです。 |
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2011年08月27日 「皇紀二千六百年記念」の石灯籠(洲崎大神) 洲崎大神の境内に入ると、神殿に向かって左側に「皇紀二千六百年記念」と刻まれた石灯籠があります。右側の石灯籠には寄進者の名前が「朝鮮京城 三枝保甫」と刻まれています。横浜大空襲では焼け残ったものでしょうか。(詳細は定かではありません。ご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただきたいと思いますが…)「皇紀二千六百年」と言えば、1940年(昭和15年)。日中戦争が泥沼化し、翌年には日米開戦、という年です。幸ヶ谷公園の石碑にも同じ文字が刻まれています。 |
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2011年08月26日 横浜大空襲で焼けた洲崎大神 幸ヶ谷公園の南側、旧東海道の北側に洲崎大神があります。建久2年(1191年)に創建したと伝えられる神社です。この神社も1945年5月29日の横浜大空襲で焼失しました。 |
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2011年08月22日 横浜大空襲で焼けて割れた石碑(幸ヶ谷公園) 幸ヶ谷公園にある石碑ですが、途中でまっ二つに割れています。神奈川県歴史教育者協議会編『神奈川県の戦争遺跡』(大月書店、1996/6/20発行)という本に、空襲による火災の熱で割れた石碑が各所にある、として紹介されています。上部が割れてしまっているため一部しか読み取れませんが、「…記念 …二郎君功績碑 …旧谷 太田櫛朝書」と書かれています。 |
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2011年08月19日 表忠碑(幸ヶ谷公園) 幸ヶ谷公園の表忠碑の裏側。「明治二十七八年三十七八年戦役陣歿神奈川町青木町出身軍人氏名」として、「明治二十七八年役」は3名、「明治三十七八年役」は21名の氏名が刻まれています。建立したのは、今から101年前、明治四十三年(1910年)6月のこと。「神奈川軍友會」が建てたということです。 |
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2011年08月17日 幸ヶ谷公園「表忠碑」説明板 このコーナーは、横浜市の歴史教科書問題を考えるページとして立ち上げましたが、もっと広く「六角橋から憲法と平和を考える」ページに変更しました。 本日の写真は、神奈川区幸ヶ谷公園にある「表忠碑」説明板。5月の横浜大空襲フィールドワークの下見の時に撮影しました。幸ヶ谷地域での戦没者を「慰霊」した際に建てられたものだと思われます。この地域の戦死者が日清戦争では3名、日露戦争では21名、日中戦争では120名、太平洋戦争(アジア太平洋戦争)では1357名であった、と記されており、戦争が拡大していったことが偲ばれます。今後しばらく横浜大空襲にまつわる写真を紹介していきたいと思います。 |
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2011年02月13日 神武天皇と東征伝承 しばらく開店休業でしたが、再開します。2月11日は「建国記念の日」でした。当日は、「『建国記念の日』に反対する2・11県民の集い」に参加し、高橋哲哉さんの講演を聴いてきましたが、インターネットで「神武天皇」を検索をしていたら、現職の茅ヶ崎市会議員のブログに「今日は建国記念日。」というタイトルで、「地元神社の建国記念祭の式典に参加」という記事を見つけ、驚きました。アナクロな政治家は国会議員だけではないんですね。 さて、自由社版歴史教科書の31ページに「神武天皇と東征伝承」という記事があります。その内容をまとめると、「大和朝廷」のもとになった勢力が、いつ、どこで始まったかを記す同時代のたしかな記録はない、としながら、日本で最も古い歴史書である『古事記』『日本書紀』には、大和朝廷のおこりについての伝承が残っている、として「初代天皇とされる神武天皇」の「物語」詳しく紹介しています。そして最後に、「大和朝廷がつくられるころに、すぐれた指導者がいたことは、たしかである。その人物像について、古代の日本人が理想をこめてえがきあげたのが、神武天皇の物語だったと考えられる」と書いています。「そのまま歴史上の事実ではなかったとしても」と断ってはいますが、「古代の人々が国家や天皇についてもっていた思想を知るうえで大切な手がかりになる」という結びです。 「神武天皇」を「歴史」の授業で取り上げ、中学生に教えるならば、この建国神話をつくったのは誰だったのか、また、明治以降「紀元節」とされたのは何故か、を考えさせたい。自由社の教科書には「古代の人々」と書かれているが、建国神話をつくったのは「古代の支配層」ではないか。この「神話」について、科学的・批判的に考えさせようという姿勢は当然ながら見られません。 このページは「ご先祖様のプレゼント」とされているが、「紀元節」を「祭日」としたのは明治6年のことであり、明治維新後の近代天皇制を権威づけるための建国神話の利用であったといえる。現人神である天皇崇拝を強制された戦前の歴史を見れば、全くありがたくないプレゼントであったのではないでしょうか。またまた靖国神社で恐縮ですが、画像は靖国神社の「菊の御紋」です。 |
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2010年11月23日 歴史を学ぶとは 自由社版歴史教科書の9-10ページには、「歴史を学ぶとは」という記述があり、ページ上段には、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」のカラー写真がある。文章の冒頭は、前回紹介した「先祖が生きた歴史」。それに続くのが「日本文明の伝統」。 一読して、「文明」という言葉の使い方に違和感を覚えた。この教科書の20-21ページ・「世界四大文明の誕生」では、「金属器、都市、文字などをそなえた社会の状態を文明とよぶ。エジプト、メソポタミア、インド(インダス川流域)、中国の各地域に、今からおよそ5000年から3500年前にかけて、文明が生まれた。」と「文明」の定義をおこなっているが、その基準から見て、果たして「日本の国土は古くから文明を育み、独自の伝統を育てた。」(9ページの記述)といえるのかどうか。 続いて、「日本は、中国に出現した文明から謙虚に学びつつも、自らの伝統を見失うことなく、自立した国家をつくりあげ、着実に歴史を歩んできた。」との記述があるが、古代日本においては、中国や朝鮮半島から進んだ文化を学びながら、独自の日本文化を形成してきたのではなかったのか。この教科書では、中国の文明の影響を受ける前から日本の「伝統」があった、という捉え方になっている。 さらに問題なのは、このあとに続く記述。「欧米列強諸国の力が東アジアをのみこもうとした近代にあっては、日本は自国の伝統を生かして西欧文明との調和の道を探りだし、近代国家の建設と独立の維持に努力した。しかし、それは諸外国との緊張と摩擦をともなうきびしい歴史でもあった。私たちの先祖の、こうしたたゆまぬ努力の上に、世界で最も安全で豊かな今日の日本がある。」ここは、明治以降の日本の歴史について語られている部分だが、ここには「日本の戦争」について全く触れられていない。ご先祖さまたちのたゆまぬ努力により、明治以降、近代国家を建設し、独立を維持した、というのだ。あの戦争は「諸外国との緊張と摩擦をともなうきびしい歴史」で片付けられている。 歴史を学ぶとは、「ご先祖さま」のあゆみすべてを「伝統」と奉じるのではなく、平和や民主主義などの諸価値に照らして、誤りは誤りと率直に認め、「二度と過ちは繰り返さない」ことを次世代に伝えていくことではないだろうか。(写真は、靖国神社境内にあるレリーフ) |
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2010年11月21日 嗚呼! ご先祖さま! この教科書には「コラム」のような形で、本文とは別に記されている部分の説明がありますが、それらについて説明した「この教科書にそえた読みもの、まとめの解説」という文章の中で「この教科書では皆さんに、より深く歴史を理解してもらうためにつぎのような読みものやまとめを用意してある。授業の合間や、課程での復習に目を通して、それぞれの時代のイメージを育ててみよう。」として、「そこに眠っていた歴史」については「日本の歴史の事実を証言するような遺跡、遺物が思いがけなく私たちの前に姿を現すことがある。そうした感動の物語のいくつかを選んで、君たちの歴史への興味の入口としてお話ししよう。」と書かれています。本欄で、出雲大社と戦艦大和については取り上げましたが、この4つのテーマの選び方において、自由社版歴史教科書の特質がよく現われていると感じました。 ちょっと前置きが長くなりましたが、今日の本題は、「そこに眠っていた歴史」に続く9〜10ページの「歴史を学ぶとは」というページです。これほど突っ込みがいのある教科書も少ないと思いますが、ここでは、「歴史を学ぶとは、ご先祖さまの歴史を学ぶこと」と中学生に語りかけています。「これから学ぶ歴史は、日本の歴史である。これは、いいかえれば、みなさんと血のつながった先祖の歴史を学ぶということである。あなたの最も身近な先祖は、あなたのご両親だ。…この日本列島に住んでいた人たちは、現在教室で机を並べているあなたがたの共通の祖先であるということもわかる。日本の歴史は、どの時代を切っても、すべて私たちの共通の先祖が生きた歴史なのだ。」 賢明な読者の方ならば、一読してお分かりかと思いますが、今の日本には多くの外国籍の子どもたちが在籍しています。そのことに配慮したとはとても思えない偏狭な記述だと思います。 かつて日本列島に暮らしていた人たちをすべて「ご先祖さま」としてしまう歴史観には、ちょっと異様なものと感じます。 ちなみに、この教科書には「ご先祖さまのプレゼント」というコラムのようなページが6テーマありますが、次のタイトルを見ただけでわかるように、ちょっと神がかっています。その内容については後日取り上げたいと思います。6タイトルは次の通り。「神武天皇と東征伝承」「日本の神話」「かな文字の発達」「武士道と忠義の観念」「江戸の下町へタイム・スリップ」「明治維新とは何か」 |
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2010年11月19日 戦艦大和の亡霊 自由社版歴史教科書の7ページ「そこに眠っていた歴史4」のタイトルは、「東シナ海に沈んだ『大和』」。いま、なぜ「大和」なのか。本文はこう始まる。「戦艦『大和』は日本が生んだ、歴史上世界最大の戦艦だった。」日本(人)がつくった偉大な(巨大な)戦艦。世界に誇るべきもの、しかし、周知のように、この巨大な戦艦は、「活躍」することなく沈んでしまう。教科書では、「しかし、『大和』がつくられている4年の間に、戦争は飛行機が主役をつとめる時代に変わっていた。…『大和』には、ついに実力を見せる機会が来なかった。」このページは中学生に何を考えさせようというのだろうか。偉大な『大和』とその悲劇、だろうか。 船を題材に歴史を教えるならば、「大和」よりももっとふさわしい船がある。それは「第五福龍丸」。一旦は朽ち果てようとしながら、平和を願う市民の手によって、その危機から救出され、現在も夢の島で、被曝の「生き証人」をして、世界に平和を叫び続けているこの船こそふさわしいのではないか。。 |
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2010年11月13日 出雲大社 自由社版歴史教科書冒頭の「そこに眠っていた歴史3」には、「出雲大社 巨大空中神殿の謎」という見開き2ページの文章が掲載されている。その内容は、『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』(などの名は出さず)などに伝わる「神話」を紹介し、天照大神が大国主神(だいこくさま)に約束通り譲ったのが「出雲大社」であること、平安時代の数え歌で東大寺大仏殿(高さ45m)よりも大きな建造物(48m)だったことが歌われていること、さらに大昔には96mの高さであったと伝える文書も残っていた、古代にそのような巨大な建造物が造られたはずがない、と多くの専門家が否定したが、2000年、現在の出雲大社のすぐ南側で直径1mもある巨木を3本ずつ束ねた、柱の根本部が発掘された。その柱の太さから計算すると、東大寺大仏殿より大きな空中神殿はちゃんと建てられたことになる。そして、教科書の文章はこう結ばれる。「どうも言い伝えはまるごと作り話ではなかったのかもしれない。」 自由社版歴史教科書のこの記述は何を子どもたちに教えようとしているのでしょうか。私は、『古事記』『日本書紀』などの記述は、神話ではなく、歴史的な事実であったのだ、と中学生に「錯覚」させることにあったのではないか、と思います。 来年春には、2012年度(現在の小学校5年生が中学校入学の年)から4年間使用される教科書が選定されます。横浜市全体が教科書採択地区となり、自由社版歴史教科書が採択されれば、横浜の中学生全員が使用することになります。中学生にふさわしい教科書かどうか、吟味するため、読み進めていきたいと思います。 |
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2010年11月09日 キトラ古墳壁画・白虎・玄武・星図が裏焼き 自由社版歴史教科書には、その「歴史観」以前の問題として「誤り」が非常に多いと聞きました。写真の「裏焼き」も散見される、というので、間違い探しをしてみました。 教科書の冒頭に「そこに眠っていた歴史」というカラー写真を使ったページが7ページ(4テーマ)あります。これから歴史を学ぶ中学生に少しでも関心を持ってもらおう、という「導入部」にあたります。4つのテーマとは、「1、日本にも旧石器時代があった! アマチュア研究家の若者による歴史的大発見」(岩宿遺跡を発見した相沢忠洋を紹介)、「2、盗掘穴から1300年前の星空を発見! 高松塚とキトラ古墳」、「3、出雲大社 巨大空中神殿の謎」、「4、東シナ海に沈んだ『大和』」。後半の2つのテーマはいかにも自由社版らしいテーマで中学生に提示するのにはあまりふさわしいとは思えませんが、前の2つのテーマは悪くはないと思います。 しかし、2つ目のテーマ「高松塚とキトラ古墳」に使われている写真がなんといきなり「裏焼き」なのです。しかも、玄武・白虎・青龍・朱雀の4枚のうち玄武と白虎の2枚、さらにタイトルにもある1300年前の星空までが左右逆になっています(このページに使われている6枚の写真のうち3枚が裏焼きになっています)。普通は3年くらいかけてつくられる教科書ですが、自由社版は数ヶ月の突貫工事だったと言いますから、間違いがあってもおかしくはないでしょう。しかし、それを選んでしまった今田教育長をはじめとする横浜市の教育委員会の方々の見識が疑われても仕方ないでしょう。うえに紹介した写真はもちろん正しいものです。 |
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2010年11月08日 あたらしい憲法のはなし 自由社版歴史教科書では、日本国憲法の制定について、次のように書かれています。「GHQは、大日本帝国憲法の改正を求めた。日本側では、すでに大正デモクラシーの経験があり、明治憲法に多少の修正をほどこすだけで民主化は可能だと考えていた。しかし、GHQは1946(昭和21)年2月、わずか約1週間でみずから作成した憲法草案を日本政府に示して、憲法の根本的な改正を強くせまった。政府はGHQが示した憲法草案の内容(脚注;交戦権の否認(のちの9条)などが書かれており、国家としての主体性を否定するものと、当時の指導者たちは受け止めた)に衝撃を受けたが、それを拒否した場合、天皇の地位が存続できなくなるおそれがあると考え、やむをえずこれを受け入れた。GHQの草案にもとづいて政府は憲法案をつくり、帝国議会の審議をへて、1946年11月3日、日本国憲法が公布された(施行は1947年5月3日)。日本国憲法は、世襲の天皇を日本国および日本国民統合の象徴と定めた。さらに、国民主権をうたい、国会を国権の最高機関とし、議院内閣制を明記するとともに、基本的人権に関する規定が整備された。また、国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄と、そのための戦力を持たないと定めたことでは、世界ではほかに例を見ないものとなった。憲法改正とともに戦後の諸改革も進められた。」 これに対して、明治憲法の制定に関しては、本文(後日、論評したいと思います)のほかに、「憲法を賞賛した内外の声」というカコミ記事を載せています。その内容は、「憲法が発布されると、政府批判の論陣を張ってきた新聞も、『聞きしにまさる良憲法」、『実に賞賛すべき憲法』などとたたえた。また、憲法は翻訳されて、世界各国に通告された。イギリスの新聞は、『東洋の地で、周到な準備の末に議会制憲法が成立したのは何か夢のような話だ。これは偉大な試みだ』と書いた。イギリスのある学者は、日本の憲法が古来の歴史と習慣をもとにした穏健な立場でつくられていることが最も賛成できる点である、と述べた。ドイツのある法律家は、議会を両院に分け、衆議院のほかに貴族院を設けた知恵を高く評価した。その理由は、どこの国でも下院(衆議院)は急進的になるものだが、その暴走による社会不安をやわらげるには、国に対する責任感と良識のある人びとからなる上院(貴族院)が欠かせない、というものだった。」 |
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2010年11月07日 爆弾三勇士 だいぶ前の話になりますが、今年2010年2月27日、かながわく九条の会のイベントで、第五福竜丸展示館・靖国神社フィールドワークをおこないました。靖国神社には、沖縄戦で戦死した私の伯父も祀られています。 「靖国」を訪れるのは初めてでしたが、色々と「勉強」になりました。この写真は、靖国神社の境内にある大灯籠の台座にあるレリーフのうち、軍神とされた「爆弾三勇士」です。東京の戦争遺跡を歩く会編『フィールドワーク 靖国神社・遊就館』平和文化、によると、この大灯籠は、富国徴兵保険相互会社が創立10周年と、保有契約3億円達成を記念して計画されたとのこと。台座には、日清戦争から満州事変までの主な戦役が描かれています。1947年2月に警視庁保安課・東京都教育曲の指示でコンクリートで塗り固められたそうですが、57年4月、それを剥がして復元、現在に至っています。 自由社版歴史教科書の市販本は、靖国神社付属の軍事博物館「遊就館」の売店に平積みされていました。 |
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2010年11月06日 日本人の歴史教科書 今年4月から、横浜市立中学校で自由社版の歴史教科書が使用されています。中学生が中学校で学ぶ歴史教科書がどうあるべきなのか、自由社版の歴史教科書(市販本)を読みながら、考えていきたいと思います。 |
